THE PRODIGY『THE FAT OF THE LAND』

1997年の時点、今ではトリップホップとロックのダイナミクスプログレッシヴに織り上げたレディオヘッド『Ok Computer』、まさかの再生後の世界的ブレイクを果たしたザ・ヴァーヴ『Urban Hymns』、独特の過剰性を音像と共振せしめたビョーク『Homogenic』といい、仄かな薄暗さに刻まれる神経症的なビートとサイケデリアの狭間を行き交いながら、大文字の世界に対して否定の肯定を行なうようなビッグ・タイトルが並んでいるイメージがあるが、筆者の印象で全く異端であり、どんな作品よりも暴力的な訴求力を持っていたのはプロディジーの『The Fat Of The Land』だった。

ビッグビートやデジタル・ロックの名の下、ファットボーイ・スリムプロペラヘッズケミカル・ブラザーズなどの音が強く空気を揺らし、ムードを明るく変えるとしたら、ウェアハウス、レイヴの血脈を持つプロディジーがサード・アルバムにして磨き上げた音は兎に角、即効的で不気味なくらい硬質なビートと当時の最大限のテクノロジーを注ぎ込んだエントロピー、サーカスティックなまでの反・世界への歩幅の大きさであり、この作品の後に迷走を余儀なくされ、現在は再評価の瀬にある理由もよく分かる。

レイヴと、現代社会の噛み合い方、今や日本では風営法の規制がかかり、オールナイトでは踊れない都市も増え、そこに何らかの非道徳性を持ち込まれることも増えたが、実のところ、パノプティコン型社会が築立していっているのではなく、オートノミーが予め奪われる、そんなリアリティが肉薄していると言える。装置化の問題ではなく、ポスト・コロニアル化の問題。つまり、(無)意識さえもが囲われてしまっている可能性があるという与件。金融商品、モバゲー、健康食品、通販、パチンコ、アイドルに牛耳られたTVのCMを見て何か思わないというのは、個人的に分からない。

時代は変わった。でも、人間はそう簡単に変わるのか、15周年を迎え、こうして、デラックス・エディションでリリースされた本作を聴いて、懐かしい感慨よりも、この作品に表面張力のように張り詰めている精神恐慌、不安を煽りたてるようなムードに気付くことが多かった。きっと、15年前の方がもっと牧歌的だっただろう世で、今聴いても、通底する不穏さ。6曲のリミックスが現在進行形にUPDATEDしているのかといえば、Alvin Riskの「Firestarter」の野放図でやりたい放題のリミックスから基本、統一性も色が重ねる感覚もない。ただ、どれも矢印の視えないエネルギーに溢れている。

有効期限としては、本作は完全に切れていたとしても、後先がない瞬間の集中力、それにおいては追認できる何かがある。意味ばかりに囲まれてしまっても、「強度」で荒野を切り拓くのも音楽の力の一つかもしれない。

Fat of the Land (Expanded Edition)

Fat of the Land (Expanded Edition)