クリスマスは故郷を奪う

帰る場所があることは美しいと思う。故郷に向かって、気持ちは、人間はつねに引き裂かれながら、いつもそこを追い出されてしまう。エドワード・サイードはだから、ずっとアメリカでも、生まれたエルサレムを巡っていたのだという気がする。でも、誰も故郷には帰れない。故郷は、幻想で通り過ぎる儀式のようなものに過ぎず、ただ、歳を重ねて、自身の生まれた場所へ、胎内回帰みたく、想いを馳せる、その痕跡を辿ろうとするのは憶い出の束がそこに埋まっているからなのかもしれない。もう同じ景色はなくても、瞼の裏、撥ねる憶い出はきっと残る。駅前で手を振る若い親の姿、遠足前の駄菓子屋、低く哭く夕暮れ、終わらないような夏休み、かぶとむしを取りに入った真っ暗な森、小さな出会い、別れ、百貨店の屋上、風に飛ばされた野球帽、大人になる中での軋み、習い事、諍い、消えてしまう約束。

総てが全く景色を変えて、骨組みしかなくても、そして、良いことばかりなどない場所でも、絆でも、何故か戻ろうとする。戻ろうとしても、戻れない。人間は始まったときから終わりに向かう。未来を待つことは過去を何度も想い出すことで、花は咲いたら枯れる、犬や猫も飼っても、年老いる、子供も親に抗う、親はまた子供時代を憶い出す。

若年性認知症になった人たちの病棟で、母親の名前や孫の名前以外を殆ど忘れてしまっている人が居たけれど、それはそうなのだと思う。そこには、長年重ねてきた感情は層を織りなすようで、本質は定位を保つ。

Do you remember me?
いつか教えてよ あのときの涙の訳を 笑顔の思い出を

故郷は喪われてゆく。そして、何度も再生される。例えば、自分がいつか奈良をモティーフにナラティヴを描くとしても、きっと眼鏡越しの度の「矯正」が入る。そのままの奈良公園なんて偶さか、修学旅行で行った人たちとは全く違う。それは誰もが別地域に行ったときに張られているように“錯覚してしまう”敷居、繋がり、噎せるほどの絆で中に入れないようで、誰もがエトランゼであるのかもしれない。知っていれば、本当に知っているのか、それは精緻に違う。知るほどに、分からなくなる。悲しくなる。

***

学者や研究者が門外漢にはよく分からないテーマに降りていって、それで三日三晩、ディスカッションしたり、ラボに籠ったりする。細部に、細部に降りていけば、雑な大文字が受け入れられなくなる。だから、勉強するほど馬鹿になる、そう言われたりするのは仕方ないのだとも思う。当たり前を「当たり前じゃない」ように、喋っても、フラットにその当たり前を生きている人からしたら、そんなはずはないし、何を言っているのだろう、となる。だから、学者と政治家が同じ場所でディスカッションしても、勝ち負け抜きに、政治家が目立つに決まっている。何故ならば、結論から始めようとするからで、選挙の結果のように二元論で区切られる三バン、地盤/看板/鞄から成り立つからして、共有資源としての故郷が用いられる。

***

誰しもの共有記憶資源だけが故郷らしきものを結び合わせ、暈かす。昔話はだから楽しい。でも、何も拡がらない。その昔話以上のことは起こりえない聖域だから、今はずっと動く。過去になるばかりで停まらないのに、昔話での「ああいうこと、あったね。」はおそらく、確認する安心、外へ出る時に鍵を締めたか、ガスの元栓を切ったか、そんな確認の不安と相克し、背反し合う。誰も、安らかに生きているなら、戦争も殺人も起きないだろうし、これだけの数まで人間という生物は膨れなかったと思う。原基だけを残して稀少に生きている生物が居る中で、どんどん葉脈沿いに拡がり、多様になるばかりの世界なんてきっとグローバリズムという眉唾的な横文字で括れるように、どんどん同じになってゆく。70億人が住むには狭くなった地球でも、それは結局、偶然、居合わせた故郷で、いつか地球も忘れられるのかもしれない。

クリスマスがこれだけモニュメント化された理由は、僕は分からない。それでも、過ぎた後の売れ残りのクリスマス・ケーキやチキンやクラッカーの寂しさは分かる。今はやはり、今しかない。

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)