どこまで、経済は自由になれるのか

最近は周囲との話がTPPとFTAEPAを巡りながら、政権交代の今、「聖域なき〜」の掛け声とともに、多くの検討がはかられてゆく趨勢が見られます。TPPは環太平洋経済連携協定FTA自由貿易協定EPA経済連携協定の略。どれも似たような語句、日本語に見えるかもしれませんが、2国間の貿易自由化のルールを定めるFTAでは、多くの国の間の折衝よりも、つまり、利害調整、ポール・バランスを鑑みますと、話を進めやすく、アジアでいえば、ASEAN東南アジア諸国連合)が1993年に域内自由貿易エリア「AFTA」を発足させながら、FTAのネットワークを進める背中を押すようになり、現在進行形で日本はアジア諸国とのFTAを結んでゆく推移。そこには物品の関税撤廃のみではなく、人的資源、投資移動としての共通市場設定をしていこうという背景に対し、TPPはより高次のFTAという見方がされているのは、関税撤廃レベルの高さのみならず、つまり、それ以外の多くの分野交渉が卓上に既にあがっていることは周知かもしれません。

TPPは1989年に発足しましたAPECアジア太平洋経済協力会議)の発展変化だと見なされていた向きがあったのは元来の2006年に、シンガポール、チリ、ニュージーランドブルネイの4ヶ国でのFTAたる「P4」が原点になっているからです。

従来の経済連携が、「二国間」をベースにしたものなら、より踏み込んだ、複数国間で連携を進めるべき、そういう意図もあった訳ですが、2008年にアメリカやオーストラリアといった「大きな国」の参加表明が起こってから、の話とともに、この自由化が孕む関税以外の、安全規格、貿易救済、政府調達、越境サービス、商用者移動、金融、電気通信、電子商取引、投資、環境、労働基準、貿易手続き、制度的事項、紛争解決、協力、競争政策、横断的事項、知的財産といった項目群が検討範囲に入っていること、農業分野だけの問題ではないのはもう自明でしょうし、政府サイドのGDP底上げの見立て、経産省の思惑、農水省の懸念、と既に公的サイドで齟齬が出てきていますし、アメリカが居るということだけではなく、商用者移動、金融、貿易手続きなどの項目群に注視してゆく必要性がいるかもしれず、グローバル化の名の下、自由化、聖域なき、の題目の下、公益/国益互受ではなく、交渉締結後に拡がる市場での、各国の潜在成長力が試されますから、では、産業構造のパラダイム・シフトが起き、既存の国際市場との競争力が日本は持っているのか、それは試算してゆく中でも分かりません。

だとしても、現在、「財政の崖」だけではない多くの問題を抱えるアメリカ、隣国の中国では「中所得のわな」であったり、各国のバランスがとてもややこしい状況になっている、そういった事項への目配せ、複眼思考も要ります。

中所得のわな」、は中国だけの問題に限らないので補足しておきますと、2007年に世界銀行が提起した概念です。急成長してきた経済に対し、1人当たりの所得が3,000ドル程度でのフェイズで壁に当たるというもので、ここには無論、人口動態、技術革新、多くの要素が絡んできます。日本での少子高齢化、生産年齢人口(15歳以上65歳未満)の減少も頭の痛い目下の課題ですが、それはアジアだけ見ても、進んでもいます。生産年齢人口が保たれている、というのは「これから」という見込みや政策が打ち出されている、としたならば、システムとして減少を辿っている国は、中長期ヴィジョン策定は厳しくなってきます。そこでの社会保障、税収の浸透圧もより難しい段階に行きますから、どういったポートフォリオを描けるのか、の何重もの考察を積み重ねた上での、判断が出てきます。今年以降の中、膨大な楽観・悲観シナリオが書き飛ばされても、画餅に帰す、そういう留保も含みながら、これからがより対峙するものがシビアになりそうです。

「失われた20年」と日本経済―構造的原因と再生への原動力の解明

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