戦時中に、言葉は消えずに点るように。

スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』について、1967年辺りの頃のこと、と、2013年の「結び目」を考えていました。偏頭痛をデスクの隣に置いて。

ベトナム戦争は泥沼に、アメリカの軍事支出は跳ね上がり、国内での暴動も相次ぎ、世界的な世論も冷ややかで、ソ連(当時の名称。)との冷戦状態も引き続き続いていた状態、核ミサイルが行き交う「寸前」で米ソ中の代理戦争として総ての地域紛争が片付けられていた時期、「核時代の想像力 (by大江健三郎氏)」は些かペシミスティックな様相を帯びていまして、一時はWW3へ待備させられていたキューバへのソ連のミサイル配備、などがこんがりながら、いわゆる、左軸がまだまだ台頭していたものの、限界的な瀬と衰微するだろうとみなされていました時期において、対抗勢力やらが事実褪せていっていた趨勢で、かのミシマは自衛隊体験入隊し、その後の「盾の会」へと傾いでいこうとしていながらも、戦争によって不気味な平和が保持されて“いたように”想えるとき、参照書の一つになるかもしれません『アイアンマウンテン報告』という本というトンデモ書なのかポストモダンの潮流にて、ヴィレッジ・ヴァンガード系に置いているものがありました。

そこでは、要は、戦争は国家や社会のためにあるのではなく、国家や社会は戦争を成立させるためにある。戦争がなくなるとき、国家はなくなる。戦争は、経済を恒常的に安定させ、社会を纏める機能を果たし、階級と貧困を維持した上で、文化、科学発展を促す。平和は危険であり、安易に平和に移行すれば今の社会は破却を迎えるだろう、そんな内容をシンクタンクの報告形式で纏めたもので、人権主義者たちは「眉を顰める」のは火を見るよりも明らかですが、「戦争」を広義に捉えた時、そもそも国連も政治的な遣り取りも警察も「戦争の枠内」で換算化されるとしたならば、公共政策によって失業者が減ったなんて理論を用いるまでもなく、今、進行形で戦争予期に駆られていない人たちも少なくないでしょう。

昨頃のマヤ暦の件(くだん)でもそうですが、「世界は滅びるかもしれない」、というどこか柔らかな期待も形成されていて、やはり、世界情勢のみならず、日本国内の仄暗い経済、政治、文化状況にストロークの大きい破却は備えられるのもままあります。それを「戦争」と置き換えるのならば、もう戦時下ですらなく、戦時中と言えます。戦時中が囲む平和という二義性から、正義や人命を貫くべきだという論に駆け込むのは容易ですが、昔、鶴見済氏の『完全自殺マニュアル』という書が売れたときに、それに対して「不謹慎だ。」という単刀直入な論以外に精緻にあの本の持つ「ポジティヴさ」を把握して、反撥した論者は居たのでしょうか、少なくとも私は「死(特に、自死)」を巡っての論争はナイーヴに進めるに越した事はないですが、人間はどうやったって、いつか此処を去ります。

戦争内平和内でも、成熟社会の恩恵下でも、個人的な混沌に巻き込まれながらも。

だからこそ、その終わりを迎えるまでは精一杯の「呼吸法」が要るよう気がします。何故ならば、今回、新幹線内で過呼吸気味になったときに、外景になだらかな渓谷、家々が見えたとき、また、呼吸数は還りました。

現実とは「負」的な要素も強く、時には、喪失よりも酷い状況に襲われる事もままあります。そういった文脈や様様な外因を抜きに、「生きろ」、「頑張れ」とは言えず、長い長い行列が出来ているラーメン屋、見舞いに行ったら、様様な管に絡まれて、ただ眠っていた未来あるご子息のベッドの傍には書きかけの日記があって、読んだ本や聴いた音楽の感想以外に端に苦痛惨憺たる心情が殴り書きしてあるのを見て、脳内のスイッチ互換がうまくいかなくなりながら、ニュースを見れば、グルメ番組が無機に流れていました。

政治的美徳/ポリティカル・コレクトネス、博愛主義、平和主義は実は既に戦時下不安の症例として格納されるのかもしれないとしたならば、少しの言葉に包装をして、行進を。

開かれた波に呑まれて燃えてゆく言葉を消さないで
歪んだ世界に身を焦がされても
手を離さないでいてくれたらそれでもいいの
守るべきは光だけ、と

(「聖者の行進」、安藤裕子

消さずに、点るように。