Passer

《知りたくは 無いけれど 避けるつもりは 最初からない》
(「テディー、ちょっと悪い」)

恋に落ちる、という言葉の通り、恋は「落ちる」。夢から醒める、という言葉の通り、夢は「醒める」。落ちること、と、醒めること、感情の起伏は実のところ、この二点を往来しているのではないか、と思うことがあります。

安直な聖/邪、善/悪の二項対立に何かを持っていこうとしても燻る葛藤とは、つまり、どこかで「腑に落ちていない」からで、きっと、私/あなたの憎む、また、愛しくてやまない存在の数々がメビウスの輪のように、計らいに灯を燈す訳で、その「灯」は目印なのか、連続・非連続の時間論を埋め得る可能性のある救命導線なのか、通過した後に分かるのかもしれません。

誰もが「今」、通過している。

成長や日々を送る、などの意味ではなく、「通過」。新幹線で、車窓が景色を飛ばしてゆくときに目的地に向かっていることを思うのか、出発地にもう戻れないのではないかを思うのか、そんな文脈に沿う「通過」。通過してゆく感情は落ちてゆくか、醒め続けてゆくかの二分線をうろつきがちになります。何も考えていなかった、何も感じていなかった、というケースは技法としてのプロテクトを指しつつ、その無意識はいずれ持ち上がります。完全に消えることはなく。

鐘楼、細雪、手袋、マフラー、缶のコーンポタージュ、救急車のサイレン、乱雑に舗道に捨てられた漫画雑誌、空を翳める千切り雲、ワーグナーゲシュタルト

通過してから、気付いて「しまう」そんな景色も悪いものではないとも。