Cassette Tape de Crépuscule

今や、CMやナレーション、コーラスなど多くの場所で土岐麻子さんの声を聞かない日はない、というくらい、印象を受けますが、元々、シンバルズというバンドに居られました。シンバルズ、その裏に渋谷系辺りの90年代のスタイリッシュな日本の音楽の流れ、小沢健二さん、カジヒデキさん、ピチカート・ファイヴオリジナル・ラヴラヴ・タンバリンズなどの名前が脳裏を過ぎる方も居るかもしれません。

シンバルズも私は忘れられないバンドの一つで、ネオアコギターポップ、アノラック辺りを軽快に舞いながらも、例えば、スミスの曲の耳触りの良さに「容赦のない仕組み」が含まれているような、そういう青空がふと表情を変える巧みなスコールのような空気感が好きでした。

最初に買ったCDは、京都に今もありますショッピング・モールのCMソングで流れていました「午前八時の脱走計画」で、リリースは1999年ですから、実のところ、WAVE文化、渋谷系と言われる流れが“ポスト―“に入り、象徴的なのが小沢健二さんは1998年の1月の「春にして君を想う」にて沈黙に入っている訳で、新進で今でも続く日本のバンド、ドラゴン・アッシュ、グレイプヴァイン、トライセラトップスくるりなどが出てきた時期で、そこでの「午前八時の脱走計画」は、少し早すぎた「計画書」だった印象がありました。ストーンズの破片をジャケットに散りばめ、三曲目の「Stupid Girl」のカバーまでとても好きなシングルでした。フリッパーズ・ギターのPVに最初に、出会った「シティー」と近似するような、PVもカラフルで、東京から発信されるソフィスティケイティッドされたカラー・ポップ。でも、沖井氏のギターのひずみから要所に見受けられるところに、矜持も感じられるもので、〈クレプスキュール〉レーベル界隈の温度を感じながら、アンテナ、オレンジ・ジュース、トラッシュ・キャン・シナトラズ、フェルトなどと合わせて聴きながら、また、ボーカルの土岐麻子さんは野宮真貴さんのように当時の、自分の想像し得る“東京の、洒脱の、”象徴でした。

京都の大学生だった私は京都の奥深さよりも柵に少し滅入ってもいて、今でこそ、東京はフラットに「東京」として捉えられますが、そう、出る機会もなかったゆえに、イメージだけが膨らんでいたのかもしれません。アルバムも遡り、買い直し、そこからリアルタイムで出る作品は買っていました。

想い入れのある曲は尽きないのですが、「My Patrick」という『Neat,Or Cymbal!』という1998年のミニ・アルバムに入っている曲がとても好きで、当時はCDプレーヤーでしたから、そこに入れては街をブラブラしていたのを想い出します。バンド自体は過小評価されていたというよりも、私の周りでは積極的に聴いている方は少なく、90年代という自意識の時代の終わり、00年代前半の世紀末を越えての空元気なムードにはたまたま合わなかっただけかもしれません。

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彼らの曲に「コメディ・ショウ」というものがあります。

「RALLY」というセカンド・シングルに入っており、この「RALLY」はジャケットにコステロのモティーフから、「(What’s So Funny ‘Bout)PEACE,LOVE AND UNDERSTANDING」のカバーまで充実した内容で、ただ、「RALLY」では《理論武装に笑顔は不可欠ね》、《君の口ずさむきき飽きたメロディ 忘れたふり決めつけて 今日もつづくラリー》というイロニーも含まれていた「らしい」曲で、「コメディ・ショウ」でも、「よく冷えた四角い部屋」で、テレビのコメディ・ショウに少しイライラする恋人二人、そして、自ら二人をコメディ・ショウに暗喩し、TVを消して、レコード盤に針を落とそう、恋の歌を聴き、歌おうよ、というリリックで、このクールというフレーズではない、冷静な距離感に魅力を感じていたのかもしれません。

その後、土岐麻子さんはソロとしてデビューされ、ジャズのカバーやオリジナル・アルバムでの多彩な色までどんどん幅を拡げられていき、最近でも2010年の『乱反射ガール』というアルバムは鮮やかで、様々な方が楽曲を提供しながら、音楽的多様性も保っていました。

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先ごろリリースされました『Cassetteful Days』という日本楽曲のカバー集では、TUBE、オフコース松任谷由美さんから、岡村靖幸さん、スガシカオさんまで多岐に渡る楽曲が取り上げられており、オフィシャル・インタビューや添えられたコメントを見ますと、フラットに就活のこと、シンバルズのこと、「カセット・テープ」という媒体のこと、幾つものエピソードがありました。

私もカセット・テープから音楽体験が始まり、いわゆる、エア・チェック、FMから曲を録音し、編集したり、46分テープなら曲尺でA面、B面での構成を自分で考えたりして、CDそこから、MD、今ではi-Podなどに至るのでしょうが、テープに苦労して、編集したりしていた時期は今の「便利の、最先端」からしますと、「不便の、自由さ」があったかもしれないと思います。

このカバー集で個人的にとても好きなのは奥田民生さんの「イージュー★ライダー」で、この曲含めて、奥田民生さんという存在も自分の中では「都会の、人」というイメージで、この曲がリリースされ、自分もよく聴いていた大学の頃、でも、不思議な曲だという感覚もありました。行間のある歌詞、最後に畳み掛けられる《僕らは自由を 僕らは青春を 気持ちのよい汗を けして枯れない涙を 幅広い心を くだらないユーモアをうまくやり抜く賢さを 眠らない体を すべて欲しがる欲望を》に続き、そういうことなんだろう、そういう感じなんだろうという濁しで終わります。

「そういうこと」、「そういう感じ」―。ただ、奥田民生さんが「そういう感じ」を歌えば、「そういう感じ」が伝わってくる訳で、いまだにライヴやイヴェントではよく演奏され、盛り上がる曲ですが、体感するたびに、自分が年齢を重ねるごとに胸への染み入り方も変わります。

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近年、自身はアナログ・プレーヤーとCDデッキで改めて音楽を聴くことがなぜか増えました。それは当初、厭っていたMP3プレーヤーの便利さと同時にデジタルな感じの感覚を想い出そうとしていたのかもしれず、同時に自分にとっての音楽は「有意なる手間」です。ザッピングして、多くの曲群を聴き漁る、そういうこととの鬩ぎ合いと、音楽を自由に聴ける時間の捻出が年齢とともに、タイトになってきたのも背景にはあります。

今年は、何だか色んなものが終わってしまった、終わってゆくのかな、という悲観的な感覚と、ただ、そこでも、音楽や書籍、映画は変わらず、リフトアップしてくれました。時代は変わっていっても、実店舗で買い、配送ではなく、CDやDVD、重い書籍群を鞄に入れている過程が今でもとても好きなのは変わらないものです。

CASSETTEFUL DAYS ~Japanese Pops Covers~ (MINI ALBUM)

CASSETTEFUL DAYS ~Japanese Pops Covers~ (MINI ALBUM)