MICE PARADE『candela』
これだけルーツ・ミュージックと多様な国の音楽をポスト・ロック的に再構築しながらも、散漫な印象になっていない軽やかな作品には久し振りに出会った気がする。NYのアダム・ピアースによるソロ・プロジェクト、マイス・パレードの前作『What It Means To Be Left-Handed』から約2年振りとなる新作『Candela』。アルバム・タイトルのカンデラ(Candela)とは、スペインのマドリードにある歴史あるバーの名前で、ここにはフラメンコ・ギター奏者が多く集まる。
ずっとマイス・パレードの作品を追いかけてきた人なら、本作での多様性には驚かないかもしれないが、先行イメージとしてはディラン・グループの影響もあったのだろうが、シカゴ音響派、ポスト・ロック、無国籍性とエレクトロニカの折衷、または、HiM、クラムボンなど多くの繋がりから、器用な奇才、そんな印象を持っている人も居るかもしれない。マイス・パレード自体は、新作のたび、彼がゲスト・ミュージシャンを慎重に選ぶことで有名で、今作はプロジェクト・キャリアも10年目を優に越えてきた中で成熟や円熟に向かうのではなく、彼の音楽的な嗅覚とこれまでのスキルが存分に捧げられた近年の延長線上に立脚するポップな内容として拓かれている。
ダヴィーなポスト・ロック的な意匠を纏った曲、透明感のあるキャロライン・ラフキン(Caroline Lufkin)のボーカルを背景に縦横無尽なファンク調のリズムが映える曲、クラブ・ジャズを通過した後のような曲、エレクトロニクスが主たる要素を占めるアンビエント色の強い曲、ガーナ発祥のハイライフの血脈を辿った曲など、彼が追求してきた音楽的な冒険が総花的に結実している。個人的に、グランダディのジェイソン・リトルも彷彿とさせる雰囲気を持つ彼の朴訥で淡いヴォーカルもさることながら、マルチ・プレイヤーたる彼の何よりも自在なギター捌きから独特のドラムのアンサンブルが有機性を持って混ざり合い、純然たる音楽そのものの可能性に向かい合った姿勢が美しい。
レコーディングは、ニューヨークの北部の森の中にある彼のTREETIMESTUDIO。なお、このスタジオは、アニマル・コレクティヴやグレゴリー・アンド・ザ・ホークスなど多様なアーティストにも利用されている。
彼は、取材でも「静寂は美しい形の一つだと思う」、好きなノイズとして、コオロギの鳴き声、風や水、自然の音を上げており、人工的なものに距離を置いている旨を述べているとおり、マイス・パレードの音には過剰加工された雑味よりも、審美眼に裏付けされた“音楽そのもの”の豊潤さがあるのも特徴で、今作では過去からすると、前衛性や自己完結的な領域を逸脱しており、より一曲一曲がコンパクトになっている。ただ、そのコンパクトな中に、幾つものアイデアや閃きが詰め込まれているためか、例えば、3分にも満たないタイトル曲「Candela」にしても、パーカッション、ギターのフレーズ、キャロラインのヴォーカルが乗ってくる後半の展開まで耳に残る。
10曲(日本国内盤は「La Lunita Ha Crecido」というボーナス・トラックが収められている。)、40分ほどの間ながら、多くの景色を見せてくれる。
そういったサウンド面だけではなく、繊細に紡がれた「ぼくと、きみ」を巡るリリックに混じるフレーズ片も柔らかい。
《nevermind what you know / it’s only what you believe in / as the grey hairs start to show(あなたが知っていることなんてあてにしないで それはただの思い込みさ 白髪になり始める頃には)》(「This River Has A Tide」)
《nowhere is it louder than Candela(カンデラより賑やかなところはないだろう?)》(「Candela」)
《afternoon will smell of honey / as i swirl in color / to black coffee / rings from my cup stamp your letters /(午後は色の渦に巻き込まれるように ハチミツの香りが漂って ブラックコーヒーになる カップの跡があなたの手紙を残すんだ)》(「Contessa」)
賑やかで気忙しすぎる世の中に、届けられる作品としては、とても小さく恬淡たる印象も受けるかもしれない。ただ、こういった作品が見過ごされないことも心から願う。
- アーティスト: マイス・パレード
- 出版社/メーカー: Pヴァイン・レコード
- 発売日: 2012/11/07
- メディア: CD
- クリック: 23回
- この商品を含むブログ (2件) を見る