366日目に、

今年は365日だという気がせず、1日が「永遠」に続くようなこともあり、徹夜がなだれる中で、季節感を忘れそうになってしまうこともありました。それでも、こうして生きられたことを有難く想います。更に、自分の「生」に少しでも背中を押されたと言ってくれた人たちには返す言葉はなく、それはまた表現で還していきたいと思います。

声高に過激なことやペシミズムに陥らないように、また、欠席が増えてゆく希望的な人数を数え直すことを辞めないでいましたが、それでも、迫るシビアな現実群には頭を抱えるのは増えもしました。

過ぎた今だから言えますが、夏の終わり、タイトなスケジュールが続いていた中、移動中の電車で急な発汗、動悸、過呼吸、混乱した状態に陥り、救急車で運ばれたことがありました。聞けば、パニック発作というので、少しの薬と休養でそういったことはなくなりました。耐えるならば、何かに仄かに頼るのもいいのではないか、と思います。薬もそうですし、誰かでもそうですし。それはメカニズム的に「無理」を「道理」にしてくれます。

浅学菲才たる自身のあの文章に救われましたと言ってくれた方も恐縮ながら居たり、停まらないでいたことで繋がった「回線」に恵まれながら、その「回線」は長いヘッドホンケーブルみたく、すぐ混線もするのでしょう。思考停止して、緩やかにたゆたう時間も勿論、大事なのですが、今日は昨日になり、昨日は明日に繋がります。ならば、何かに静凛と対峙する際の姿勢を正す意味が再定義されてゆくのがこの艱難たる現在なのだとも感じます。

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何かの折、飛行機で日本を発つとき、窓からはその雲を越えて、いつも緑と柔らかな茶色が目に入ります。戻ってきたときの日本の温度も好きで、必ず、寿司やうどんを食べていました。日本の厳かさが私は好きです。狭さやあらゆる視点の湿度の高さには、どうにも同一化は出来ないことはあるものの、優しい景色に感情が靡くときに視える風景はそんなに多くはなくも、今まで行ったどの国、場所よりも贔屓目でもなく、日本はとても透いています。透いているから、「風」が見えるのでしょう。

だからこそ、その風に運ばれてくるものが未来ばかりではないことを気付く日々を受け止める、そういった矜持を迫られることになった今に寂寥もおぼえます。日々刻々動く情勢に落ち込み、自分自身のレゾンデートルを見失っていたとき、先ごろ初めて、私は一人で京都タワーにのぼりました。近いほどのぼらないもので、案内などの機会でも下で待つばかりでした。展望台から見える空は低く、当たり前に、東京タワーや上海での東方明珠電子塔、エッフェル塔などから観た景色とは違い、凡庸で平たい景色。

ただ、凡庸で平たい中に家が軒を連ね、山が仄かに紅さを孕んでいました。ドイツからの老夫婦に写真を頼まれ、撮ってあげたりしながら、ぼんやりと、考えていました。もう私も33歳から、来年の3月22日で、34歳になり、いい年齢です。そこで、春を待つこと。出来る限り、今年の悼みには忠実であること。いつか、あのときは色々あったね、と笑える366日目を待つことを待っています。