china-reeling

中国では、1980年前後では国民の8割方が一日辺り、1ドル(8元位でしょうか。)以下の生活をしており、水道はおろか、有名な洗面所は汲み取り式の粗末なもので、北京や上海でさえ、住宅環境はままならず、数億人は屋根さえあればいいような生活をしていました。

そして、訒小平改革により、貧困、困窮層の解消を試みはかられていき、順調な経済成長率も保つ事が出来てゆく「かのように」見えていますが、内実は沿岸部と更には内陸部の貧富格差が凄まじい事になっています。それでもまだ、日本企業の大半はある程度のオプティミズムと(まだ安いと認識していた)労働力賃金を目当てにフロティアとしての中国に賭けている部分もあり、BRICsを巡る論陣はまだまだNEXT11どうこうよりも「有効」だったのはいつのことになってしまったのでしょうか。

頻繁に起こるストライキ、賃金交渉、契約などをして少し性急に経済だけを肥大させてしまったのではないか、という側面が露骨に出てきています。車関係、精密機械関係、どんどん内地に工場が出来ていき、そこでは(ポスト・)フォーディズムの名を借りた自動化と人件コストを極力抑止した生産システムが敷かれています。「以前より生活がマシになった。」と皆は、懸命に働き、仄かな未来を夢見ていますが、TVをつければ、セレブや芸能人が「華やかな生活」を振り撒いています。

一人っ子政策の極北たる80年後(パーリンホウ)は想像の中でしか文革を経てきていないゆえに、カジュアルで自由で気ままながらも、マルチカルチャリスティックというよりも、ムードとしてのパトリオティズムを持っていたりもします。

儲け主義に走る一部の寡占企業、国営企業、ファンド、病院、求心性を失いつつある政府への意識、農村部、内陸部の逼迫を鑑みた上で、個人消費の割合が四割前後という世界でも最低の低さ―つまりは、国家購買力が六割を占め、他分野に依拠しないといけない、ということ―から敷衍しての、膨大な企業・政府・住宅投資の「行く先」を見渡し、欠陥構造を解析しないといけないでしょう。そうしないと、国としての均衡は崩れ、あっという間に経済的発展から堕し、それこそ今のようにストやデモが各地でより起きる事になるでしょうし、露呈しつつある都市部で「一人っ子政策」の弊害や、雇用案件、ポスト・改革開放以降の軋みがどうにもならないことになっている事実などが重くのしかかり、政治的に何らかの加圧を敷きながらも、経済的に自由を追求したゆえのいささか歪な民度の問題も指摘されています。

「経済成長→都市部知識層、中間層の形成→中心部への民主化の要請→法治国家としての成熟」のフェイズが為される「はず」(ちなみに、日本は成熟”以降”の世界に有りますが、ゆえのカオスに陥っています。目標がお金、や、マンションでは味気ないでしょうから。)なのですが、エスタブリッシュメントと民主主義との噛み合わなさが露顕しているのも確かです。

私はいつか早朝から、治療を受けるために北京の大きな病院に大挙をなしている一群に出会って、その中の大多数は内陸部から電車で何時間も、時には一日以上かけて、「なけなしのお金」だけ持って、ギリギリの状態で来ている人が居て、話をしてみますと、それなりに皆、重い病気を持っているものの、自分の村では治療出来る医者や病院がないとのことで、大都市としての高度医療を受けられる北京まで来ていたりするのでした。

そんな大挙している民衆の横をニューリッチ層や富裕層は特別棟で、待たずに高等医療を受けていたりしている(日本もそうなりつつありますが)現状、に対して頭を痛めざるを得ないのでした。