my private best discs 30 2014 pt.7

新年明けてしまいましたが、2014年の私的30枚、完結です。

5,V.A.『Fethno−小泉文夫没後30年記念企画』

FETHNO - FUMIO KOIZUMI MEMORIAL CONCERT LIVE ALBUM

FETHNO - FUMIO KOIZUMI MEMORIAL CONCERT LIVE ALBUM

2014年は良い編集盤、企画盤が多くて、単体のアルバムより、そのオーガナイズする人たちの動きに意識が向くことがありました。これもその一つです。中村とうようさんとは別に小泉文夫さんから受けた世界中の民族音楽、文化、そして、そこに根付く深い意味文脈についてはこれまでも影響を受けてきましたが、この二枚組でも、ブルガリアン・ミュージックの荘厳なダイナミクス、イラン音楽、アイリッシュ音楽の軽快さからアイヌ・トラディショナルなどまでコアな音楽へとリーチする演奏が展開されながらも、そこから豊潤に拡がるのは想像力、知らないことを知るではなく、世界とはここまで圧縮されたがゆえに、拡逸されないといけないということでもありました。楽器の種類群、音色などからでも伝わる風合があります。

4,DAM『Dabke On The Moon』

DABKE ON THE MOON

DABKE ON THE MOON

このグループは、おそらく中東関係のニュースに触れたときに知ったという人も居るでしょうし、翻訳されて各地に往来もしていましたから、個人的には、フラットにパレスチナのヒップホップ・グループとして捉えますよりも、ウード、ダブルッカ、アラブの伝統的な音楽への敬意を払いましたアティチュードと、“アラブの春”以降の自由に向けて音楽は本当に、自由になったのか、を再考させられる何かがありました。

3,PHARRELL WILLIAMS『GIRL』

GIRL

GIRL

「Happy」の全世界的なバトン・リレー(アイス・バケット的なものではなく)は鮮やかで、それだけで、ファレル、または外せない存在としてロビン・シックは2014年を彩り鮮やかに駆け抜けたと思うのですが、ライヴなどで大きいのは2013年のダフト・パンクとの「Get Lucky」と“地続きである“という点なのですよね。「Get Lucky」to「Happy」の”to”でFUNKとPUNKじゃなく、SOULからFUNKへ、という流れがあり、印象深いグラミーでの「Get Lucky」でステージで、スティーヴィー・ワンダーが客演しました理由など考えますと、カラフルな「Happy」は決して楽天家の時代遅れの歌じゃなかったのだな、と感応します。とても先の夢想になりますが、例の「Let It Go」/「Happy」なら、後者が2014年としての音楽として残るというのは、翻訳抜きにストリート・カルチャーにも馴染んでいたという点が大きいからかもしれません。前者は各々に「籠る」唄ゆえに。アルバム総体に関しましてはファレルの粗さが散見されますが、いつかの00年前後の“外れなし”からここまでオーセンティックなところに復帰できましたのは感慨深かったです。

2,くるり『The Pier』

聴くほどに発見と、不思議な眩い暗みを放つ作品で、個人的に幾度か言及しましたが、「2034」からの前半、「ロックンロール・ハネムーン」から開ける中盤、「Remember me」からの慕情性を帯びましたたおやかなフェイズ、「最後のクリスマス」というグリーティング・ソングを挟んで、くるりの中でも今後、より重要になっていきそうなラストの「There is(always light)」まで、これまでにあったようで、なかったアルバムで深読みすることができるとするのならば、『ワルツを踊れ』を出したとき以上に、これで、くるりはサヴァイヴするロックンロール・バンドとして越えるべき国境を増やしてしまった気がします。ジョン・レノンの「Imagine」的じゃなくて、今の彼らは砂漠のブルーズからファド、EDM、そして、はっぴぃえんど的な叙情までを架橋できるがゆえに、寄り添ってゆく人たちはコアな音楽ファン、くるりファンではなく、日々を懸命に生きている人たちのささやかな呼吸音に沿うのではないか、とも。たとえば、「Liberty&Gravity」が労働歌かどうかは私には忖度しかねますが、働くことは生きることと≒ではなく、生きることが何らかの対効果を生む瀬に「働くこと」とは、旧来の定義ではかなわなくなってきているという意味では、自由、と、重力とは砂粒上の個の存在定義の幅を示すのかもしれません。

1,西山瞳trio“Parallax”『Shift』

Shift

Shift

2014年の急性/動態性を象徴していたかな、とやはり思うのです。
少しベタですが。