my private best discs 30 2014 pt.5

14,TORN HAWK『Let’s Cry and Do Pushups At the Same Time』

ブルックリンをベースに、“ヴィデオ・マルチング”の手法を用い、ドラマやB級ホラー、日本のアニメーションなど、多様な自然、機械音をコラージュし、情報過多的なソーシャル・コレスポンデンスへ分析的立場を取るのではなく、散逸させてゆく手法の映像作家ルーク・ワイアットの映像を観ていますと、チープな記号性が断絶しながら、いつかのシャルダンのいうところのヌースフィアを最初から相手にしないようところがあります。いかにもな物語性よりも、ジャンクでノイジーな破片が正規リソースに揺さぶりをかけるのではなく、徹底的に表層を滑ってゆくような倒錯的な心地良さも感じもします。

そういった映像の編集能力の閾内で新たな既定のシーンへの挑発行為の再測位をはかるためか、別名義のトーン・ホークとしてリリースする音作品は80年代的なエレ・ポップであったり、正道のアンビエント・ミュージックだったりもして、今作はNYの〈Mexican Summer〉からのリリース(当レーベルといいますと、今年はQuilt、Weyes Bloodのアルバムも外せませんでした。)の背後にはマニュエル・ゲッチングクラウス・シュルツェ経由のインナー・アンビエント・ミュージックとしてのトリップ感と、ギターの用い方にはダスティン・ウォングなどの影も見える、良作でした。「Acceptance Speech」〜「Because of M.A.S.K.」の流れのゴシックで壮大な流れも彼らしく。

13,IMED ALIBI『Safer』

Safar

Safar

これはジャスティン・アダムスがプロデュースしていることで、ティナリウェンなどと試聴機などでは並べられていましたが、チュニジアパーカッショニストの力作で、“ワールド・ミュージック“の枠を勇壮に越えてくるところに感激を受け、また、マグレブ音楽の持つリズム、そこにドラムンベースのようなエレクロニクスが混じってきたり、生命力に溢れたマグレブの伝承を負い、実験的な舞踏音楽としてその内側に滾るものにも胸打たれました。

世界中は広すぎて、わかりあえないことは多いかもしれませんが、こうして届けられる音楽が伝えようとしていることに、以前より鋭敏になれてゆくという意味では、不思議と翻訳し、解釈できる文化への認知力は個々相応に高まっているのかもしれない、と思ったりもします。

12,ヒラセドユウキ『Monochrome』

monochrome

monochrome

世界中の彩り鮮やかな音楽と比して、チェロ、ソプラノ、彼自身のピアノのトリオ編成でしかし、抑制の美ゆえの音像の深みはポスト・ミニマルなどの形容を越えて、ひとつの良質なサウンドアート作品を観るようでした。取材などでの彼の言を見ましても、名刺代わりの一枚でしょうが、凛然と美しかったです。

※参照
ヒラセドユウキ氏取材・記事(musipl)
http://www.musipl.com/articles/interview/itv-00009.html

11,Polock『Rising Up』

Rising Up

Rising Up

ティーンエイジ・ファンクラブ、ファウンティンズ・オブ・ウェイン、タヒチ80、またはフェニックスなど、どんな瀬でもポップ・ロックバンドは必要で、しかし、バンドは変容していったり、解散の憂き目に合うことも多く、“ポップ”や“ラブソング”の儚さに想いを馳せもします。

スペインのこの彼らのファーストも愛聴しましたものの、同じような危惧を持っていましたが、4年ほどの間隔で戻ってきたこのセカンドでは「Fireworks」みたいなブライトフルなキラーチューンはないですが、少しリズムを落としたセクシャルなR&B的な「Everlasting」や軽快なポップ・ソング「Bronze」など着実な変化はしつつも、個人的には流麗でメロディアスなシティ・ポップFreak City」にやはり魅かれるものがありました。