my private best discs 30 2014 pt.3

20,Shugo TokumaruLITA-RUTA』

http://www.tonofon.com/Lita-Ruta/

ハイレゾなどの高音質、世界中の音楽を今やデスクトップから“覗き見”できる自由さと真逆のような不自由さ。不自由さというのは彼の音楽そのものではなく、10インチのレコードと段ボールプレイヤーでのリリースの仕方で、しかも、このたびはダウンロード・コードもなく、という点で、また過去からソノシートでのリリースをしたりもしていましたが、例えば、You Tubeを見続けると、何時間も経っているというような瀬で、また、聴き放題のサービスが増える中で、聴く手間とともに、その"手間の時間"も音楽を聴く主体的なアクションなのかもしれない、という気持ちが遡求されました。表題曲そのものはトクマルシューゴらしいストレンジ・ポップで、先に見越されるアルバム的なフォーマットに入るのか、どういう形態で出されるのか、音源の流通手段も楽しみです。

よく「CDを買わなくなった」という声が見受けられますが、それよりも、CDというフォーマットはあくまで過渡期のフォーマットで、そこに付随価値が見出せなくなりますと、自然とフォーマットへのフェティシズム減価償却されつつ、CD”+α”が重視されるようになりますと、手元に置いておく意味と手間の間を縫う価値の再造成がいるのかもしれません。

大人向けのコレクターズ・アイテムばかりが増えたとしましても、それらを買うのはコレクターばかりではなく。ガラパゴス化という言葉も扱いが難しいですが、こういったリリース方法を試みたり、クラウドファンディングを用い、成功させているようなアーティストの在り方に寧ろ、感じるものも少なからずありました、その一例として。

19,pocopen『tingatinga song』

tingatinga song

tingatinga song

sakanaのボーカルと知っていましてもそうじゃなくても、この作品から響く“うた”は喧しい情報量過多の瀬を対象化しますように、染みました。ヒタ・リー、またはジョン・フェイヒーのような変幻的な音風景、もしくは(金融経済上で)インフレ化が始まりましたブラジルの中心部を少し外れ、主にバイーアに近い地域のような中での変則的なリズムをたおやかに保ち、アコースティックに”サウダージ的な何か”を引き寄せる、そんな残韻を感じもしました。UAが向かっていた場所のオルタナティヴな真空域に彼女の作品があるのではないか、とさえ。5曲目の「ゆきやなぎのうた」辺りなどの抒情は、金延幸子『み空』の影も霞みつつ、透然としました空気感は美しいです。アコースティック・ギターの響き、空間の中で泳ぐ彼女の声、自在に、それでいて、ローラ・ニーロジョニ・ミッチェルを継ぐような孤高性が閉じず、心に届きました。この作品に至ってはもはや“うたもの”の人ではなく、“ジャズな人”なのだとさえ。

18,HERBERT『EP』pt.6,7,8

pt.6の時点の「One Two Three」でクラブで流れていたりしましたが、今年は結果、EPスタイルとして8までリリースされ、革新性はないものの、誰もが聴き馴染みのあります『Bodily Functions』〜『Scale』辺りのまろやかな音響に魅せられたのではないか、という意味で、あえて、こういう形でピック致しました。6は、少し遊び気味ながら、アシッド・ハウス的な回流の側面が見え、7はトライバル・テック・ハウス、8はメロディアスなIDMといった要素も咀嚼できますものの、基本、カテゴライズは無用なアーティストなのもあり、こうしてEPを連続的にリリースすることで、非・連続的な何かを目指しているような気も致します。いつかのコンセプチュアルなものから解き放たれて。