くるり「Remember me」―遠心力を持つ日常

2012年のくるりは元来の岸田繁佐藤征史の二人の骨組みと言えるメンバーにファンファンと吉田省念の正式加入、四人体制になり、精力的な活動と10枚目のオリジナル・アルバム『坩堝の電圧』での多様な音楽性の展開、そして、何よりも震災以降の日本に、音楽を届ける意味を再考(再興)してきたところがあります。

くるりほど、メンバーや音楽性の変容が激しいバンドはないかもしれません。また、京都の息吹に静かに添われた空気感はきっと日本でも不思議な印象も受けるかもしれないですが、日本で、特別だった地域は古都があったところなのでしょうか、平安京の時代から。それは、おそらく正しくも違うような感覚をおぼえます。東京が中心にあるのはそこを通過する人たちが多いからだと思うからです。

通過するから、街はある。

くるりは、多くの音楽の景色を通過してきたゆえに、今も転がります。民族、辺境音楽に魅かれながら、クラシック音楽への素養の高いソングライターの岸田繁の素因に準拠しながらも、そこにポップネスやブルーズ、ロックンロールを煮詰め、あまたの先達へのオマージュを捧げるために、くるりくるりとして、ずっと進んできたのだと思います。だから今のくるりは、やはり、岸田繁佐藤征史吉田省念、ファンファンで成り立っているのでしょう。

全くのオリジナリティとは幻想で、ただ、河原で石切りのために投げた石が撥ねる音を聴いて、音楽の発想が生まれた、そんなアーティストの話も聞いたことがありますが、「日常」と、個がそれまでに影響を受けてきた情景をもう一度、自分の中で再像化するときに似る「何か」はビートルズでもいいのかもしれないですし、ベートーヴェンでもいいのかもしれません。

坩堝の電圧』のモードのまま、ただ、別文脈で書き下ろされた「Remember me」は主題歌を彩るTVプログラムに引っ張られた形なのか、家族や絆、そういったモティーフが散見し、壮大なバラッドになっています。オアシスの「Don’t Look Back In Anger」を彷彿させますストリングスの絡まり、静かにたおやかに編まれるメロディーには岸田繁が愛好する奥田民生の「STANDARD」への敬慕も見られながら、そこにこれまで以上に現在の四人くるりの一体感があらわれています。明日が来ること、毎日の新聞に顔を曇らせるパパ、どこか遠く、子供の夢、駅前の豆腐屋のおじさん、生まれた場所、と散りばめられるフレーズ、最後に響く「歩き出せ」まで、世代、場所を越えて去来する情景。

どんどん純然と音楽、つまり、日常の景色に同化してゆく、そんな一曲だと思います。