my private best discs 30 2014 pt.2

続きまして。

25,D’ANGELO AND THE VANGUARD『Black Messiah』

BLACK MESSIAH

BLACK MESSIAH

エイフェックス・ツインの13年振りの新作も良かったのですが、分野は違えども、満を持してといってもいいでしょう、ディアンジェロの14年振りの新作は過度の思い入れは抜きにしましても、ソウル・ミュージックとしての彼が抱える業の深ささえも感じました。時おりのライヴ映像などやレコーディング情報が入ってきながら、今年も、というときに『Black Messiah』がリリースされ、ビートは無論、『Voodoo』時からはアップデイトされつつ、ルーズな部分から、セクシャルな曲まで、目新しさよりもディアンジェロの現在が感応できるという内容を前に、革新性や時代に合わせたという刺激性ではなく、『Voodoo』で張り詰めていたテンションから、年齢や経験を重ね、よりスムースに“自分の音楽の中”で立ち振る舞えるようになった、そんな自由さも感じます。だから、セッション的なノリが活きた曲でも冗長に聴こえず、奇しくも、かのプリンスも意欲的な作品をリリースした今年ですが、キャリアのみならず、内実伴ったアーティストが急なアクションを起こしたのも印象深かったです。

24,NOURA MINT SEYMALI『Tzzeni』

ティザンニ(TZENNI)

ティザンニ(TZENNI)

今年は、イスラム国の問題もあり、自然とアラブ音楽を沢山、聴いていたのですが、PODCASTからはアラビック・ミニマル・ハウス、アラビック・ロックなど多様にして、市場的に拓かれたものも多く感じつつ、彼女の音楽もよく聴きました。彼女の継母はモーリタニアの、グリオー(griot)歌手、ディミ・ミント・アッバということにも驚きましたが、伝承要素はありながらも、新世代としての感覚が明瞭にあるのも驚きました。なお、グリオー歌手とは西アフリカの伝統を伝達するもので、歌のみならず、後世に歴史譚や生活のあり方を伝承してゆく語り部としての役割もあります。思えば、昨今、日本のみならず、“お話会”といった催しに時おり参加することがあり、気付きが沢山ありました。個人の分だけ歴史は孕みつつ、その歴史は個人だけでは限界があります。メディア機能がときにそれを妙にいびつにさせてしまうようなケースも見受けられましたが、それでも、一人の語り部がその場の人たちに、その場の人たちは、また家庭や自分のコミュニティに運んだりして、じわじわと拡がってゆくのは大切なことだとも思いました。彼女は、伝統音楽への敬意を示しつつ、音の面で非常に興味深い、砂漠のブルーズを受け継いでゆく新しいブルーズ・ロックを開拓したところに感応できたのも大きいです。

23,渚にて『遠泳』

遠泳

遠泳

ピンク・フロイドの『The Endless River』も話題になりましたが、6年振りの彼らの辿り着いた境地には、かつての“うたもの”といった残影からは遠く、彼岸に向かうようでいて、この時代で、あまりに誠実なアメリカン・ルーツ・ミュージック、ブルーズ、サイケデリック・ミュージックまでを架橋し、その先までも往こうとする気概さえうかがえ、良質なロード―ムービーを見ているかのような気にもなりました。「あいのほとり」から「暗く青い星」、そして、「ひかる ふたつ」へのアルバムの本編最後の三曲の流れは個人的にハイライトで、饒舌になりすぎず、伝わってくる音の波に飲み込まれる快感はさすが、でした。

22,SHARON VAN ETTEN『Are We There』

Are We There

Are We There

前作に比しますと、話題性に乏しかったような気もしますものの、今作では彼女の声の多彩さにフォーカスがあてられたようで、全体的にスケール感が増していて、ゆえに、そこに毀誉褒貶がわかれたのかもしれません。くだくだしくないかといえば、疑念は残りますし、コンパクトに纏められそうなところも散見できます。しかしながら、かつて、例えば、フィオナ・アップルが抜けていったいばらの道を歩みゆくような矜持性と痛みを端々から滲み聴こえてくる感じもあり、個人的には、以前より彼女のアーティストとしての資質の前に、人間性に魅かれる結果となりました。

21,SUBMOTION ORCHESTRA『Alium』

Alium

Alium

オーケストラ・ミーツ・ダブステップといわれていましたのはひと昔前のことで、ライヴ、作品を重ねるごとに、エレクトロニック・ミュージックの異化作用の可能性を掘り進めるようで、この三作目は〈Ninja Tune〉からリリースされるということを含めまして、非常に奇妙な内容になっていまして、その奇妙さが、フリーキーでアシッドなのが心地良さをおぼえます。トリップホップからの潮流を受け継ぎ、昨今のダウンテンポ・ミュージックとソウル・ミュージックとの艶めかしい共振をはかるところまで、着実な深化を遂げ、ルビー・ウッドのボーカルも表情豊かになったところまで、更に化けていきそうです。