HEART-LEAP

人それぞれには意識、無意識的にしろ、何らかの欠落的な何かがあり、それを埋め合わせる符合として多くの、依存性や意味文脈が援用される。例えば、「お酒を辞める」と気付くが、相変わらず日本は特殊な「飲酒」社会だなということで、適切な量を保つには勿論いいが、度を越し、“アルコール依存症”となると、れっきとした疾病で治癒も難渋なものであるのに、それを促進させるような仕掛け、トリガーとなるものが非常に多いのに気付きもする。父がお酒、特にビールの味が好きだったので、最初に、味を嘗めさせてもらったのは早かった。「よくこんな苦いものを嚥下できるなぁ。」と思いながら、大人になり、社会人になり、当時の重役にお好み焼屋で「社会に出るということは自分の酒量を分かる、ということだ。」みたいなことを滔滔と説諭された。右も左も分からない時期だったので、兎に角、“昼の素面”のときではなく、“その後の付き合い”が大きいのを知り、あれこれ色んな人にネオン街―今はぎらつきは減った、LED街なような気もするが―で出会い、すれ違い、ある時から宴席でのそれが最初とは違う意味で、美味しくなくなった。つまり、「酩酊依存のために、飲む」という病的な領域に入ってきたときに、シンクロして他の国、場所の状況論を再学する機会が増え、例えば、中国の「乾杯で飲み干す(減ってはきているが、やはり宴席ではいまだ多い)」場やドイツ人のビアホールでの佇まい、日々のストレス解消などに気圧されるように巻き込まれていく内に適量や節度が見えなくなりもした。何でも、周囲の補助、奉仕者の声で補強されるシステムと、補助者の奨めと自身の“気付き”のために、同じ状態の人の会合や、場合によっては病院に行く。そして、闘病記の交換や投薬、食事、運動療法などの類いで改めさせられる。ただ、「根治」しないケースはなんでも多い。人それぞれのパーソナリティや周辺環境に依拠せずとも。

しかし、アルコールに限らず、健康依存になる人も居れば、出世依存、家族依存など「依存」には良/悪は一概に判断しにくいものがある。依存も適度なら問題はないが、過度になると、どうにも病的になってしまう。病的になると、実際に「病気になる」ことも存外、出てくる。同時に、節度を踏まえ、健やかに寧ろ、ストイックに生きてきた人が早くに不慮の事態を迎えることもある。そんな二線を想いながら、「お天道様とは、どうにも残酷なものだ。」と教師の方と話をしていたら、今度は異常気象がデフォルトになって、運動会の設定日程に困っていたりする、と言う。「今までどおり、秋に行なったら、熱中症が出たので、夏の前に、と思ったら、また問題が起こって。」、と。「ふたつよいことさてないものよ」、という言葉はあるが、今や正論や大きな文字はそのまま「ひとつ、よいこと」として一方通行的に誤釈込みで流通してしまいもする。出世すると、周囲から妬みを買う、幸せ(そう)な構図に、冷笑を持ち込まれる。あらゆるシンプルな裏/表が在った時代から随分、遠くへ来た、なんて若年寄りみたいな話ではなく、それも「場合による」というだけで、わかりやすいことが即効性を与える時間は短い、くらいの構えでいいのだと思う。

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庶務でハラル関係のセミナーに出ていると、宗教的に禁じられているものの問題や倫理観など以外に、言語面で、英語は学ぶものではなく、前提のコミュニケーション・ツールとして最初からあって、人によってはマレー語、広東語などで細部のやり取りをしていることを再認識する。多民族社会の強みはそういった混ざり合った場所から這い上がってくる人の持つ熱量やテンションの異様な高さで、今の自分にとっては刺激になる。ただ、刺激物は余りに即効性があるので、引っ張られる何かも無論あるが、持続のための時間は短く、帰路で「うーん、ああいった人たちと同じフィールドで闘っていくのは厳しいな。」みたく自省したりする。ハングリー精神、知的ポテンシャル、敬虔な佇まい、数え上げればきりがないほど、勝てない要素は現前する。ただ、何度かそういった人たちと会うなり話なりしていると、「闘うのじゃなく、共携できるところがあるな。」と思うところが出てくる。ムスリムの肌荒れに気にしていた若い女性に植物油分の肌の手入れできる化粧水を薦めたことがあって、感謝された。そうすると、“気にしていたことに、気付いてくれた”ことから派生してささやかな悩みから、色んな知識や情報を教えてくれる。「日本は何よりクリーンで住みやすいし、皆、親切だけど、社会保障とか子供のことを考えると、住むのは将来、シンガポールが良いわ。」みたいな内容から多民族性への寛容、人種への認識論、自身の生まれた国の政治的状況など書割ではないことまで話になると、自分が多少、知っていただろう、また、視ている現実のその奥に当たり前だが、切実なまでの事情があるのに皮膚感覚として気付く。

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現在はアメリカに移住してしまった中国の知己は“海亀族(一時期、言われていたエリート層が欧米諸国に出て、また祖国に戻るというのを指した語句)”の中の一人だったが、「自分の育った国は愛しているけど、戻る必然を感じない」と云う。エドワード・サイードではないが、故郷の変性とは個々の潜在意識下でより曲折を迎えているのかもしれない。メリット・デメリット、愛憎入り混じったというだけではない、故郷を置きゆけば、昔懐かしき子守唄、伝承唄が妙に染みて聴こえるような、そんな子守唄、伝承唄を世界のどこで聴くのがいいのだろうか、想うときがある。落語で日本語の言い回し、大衆文化の機微がしみじみ染み入るのを感じるのとともに、ほんの僅か前まで寄り掛かっていた何かは呆気なく、終焉を迎え、崩壊していったり、崩壊したものに手を合わせつつ、恢復を希ったものの、再び訪れた際には、崩壊直後より惨状が極まっていたり、でも、「惨状とするのは他者性の中で築き上げたイメージの複写なんだよね。あそこには高度な教育施設が出来たけど、以前よりいいんだ。」とか、「元に戻ろうとしなくても、元はここで生きてきた人たちの中にあるから、今これからどうしてゆくか、で。」なんて言われると、なるほど、と考える。そこから、「たださ、問題は山積で…」と続くのも道理で。影を見つめ続けると、光の眩さに眩むが、逆も然り。

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そうなると、今の自分は“多少の、安息に依存している”といえるかもしれない。だから、落語を紐解いたり、薬膳を学んだり、身体の代謝機能を考える生活リズムを保ったり、どのチョコレートや甘味が美味しいのか比較してみたり、程よい有酸素運動のプログラム立てから、異言語生成への測位判定、日々刻刻の移ろいに身を任せては、新しい出会いや学びの愉しさに足るを識る。しかし、隣の芝生は青く映り、落ち込む事柄は多く、自己完結し得ない世の中の変化に憂いは尽きない。安息のときは余計なことを考えている暇はないが、でも、「安息にひと段落つく」と当たり前だが、難題は眼前に山積みされていることが土砂崩れのように一気に奔流してくる。但し、そうでないといけないのだと思う。180度、生き方を変える、なんてことは根源的にできなく、それでも、角度を変えて生きてゆくことで、それまでに無理に重く感じていた荷物の幾つかは不要なのは分かるようになってくる。生きているうちに行っておきたかったな、という場所に規制が掛かってしまった、危うい治安情勢になった、みたいなニュースや勧告に触れると、隔靴掻痒たる残念な気持ち以外に、別種の想像力も生まれ得ることをトレースする。何故ならば、不思議なもので、代替性として行きたい場がホログラムのように幾つも浮かんできたりもするからで、随分昔の自身なら足を運ぼうと思わなかったところに行くと、かかっていた重力の偏差が変わる。偏差はでも、相対的なもので、そこもいずれ行かなくなる可能性はあり、世の中が改変されれば、行けなくなる可能性もある。可能性は無限にあるが、無限の可能性がある訳ではない。運もあれば、自己機制だけでは届かないことを数えると、キリがないものの、昨日とは違う明日に挟まれた今日にかろうじて届く悠昔からの陽光に照応すると、静かに沈思しながらも、そろそろインクが切れかけのペンと併せて、馴染みのノートを新しく買わないと、という気になる。