go out inside

近年、個人的だが、節目にBLURの報があると思えば、4月には12年振りのオリジナル・アルバム『The Magic Whip』が出るとのことで、リード・ソングの「Go Out」は期待をかわすように(または、ブラーらしく)、『無題』期のアウトテイクのようなオルタナティヴで脱力的な曲。デーモンの声のこうした草臥れたニュアンスが年々染みてくるのは、目まぐるしいシーンの中で、彼自身がゴリラズやソロ・ワークなどで方位磁針を都度、自在に確かめてきたゆえのどことなく、醒めた遊び感覚が通底しているようで、トム・ヨークビョークも昨今、さすがと思える作品を出してきてやはり魅かれる何かはあるが、こうしてBLURの新たなといおうか、佇まいを前に、つい何度も聴いてしまうのは、構えず“しんどくない”からなのかもしれない、と想いもする。

しんどくない、というと自分の状況論に換喩されてしまうきらいがあるものの、例えば、京都の古民家を改造して、念願の自分のお店を持った知己の話を聞くと、「物質化社会の良い部分はこれまで感じてきたし、これからもお世話になると思う。でも、自分が欲していた生活はそんなに忙しいものではなかった。」と回顧する。こういった言は、「要は現今の競争社会から一抜けした訳じゃないか。」とすぐ穿たれる。田舎暮らし、海外移住もそうで、そんな簡単に生計は成り立たないし、壁は厚い(と思い込みたいという感情)、とすぐ相対化される。現に、厳しい生活をしている海外移住者、田舎暮らしの人は居るし、そうでもない人も居る。向かない生活を続ける意味がなかったら、意味を練り直せばいい。同時に、どこかに平和で安全で、穏やかな場所を探し続けるのなら、それを続ければいいだけの話で、誰かにとっては住みにくくて仕方ない場所でも、誰かにとっては快適で仕方ない場所など幾らでもある。白と黒で二分化されるほど、明瞭に人間は解りやすくできていない。「そんなに地位も資産もあるのに、そういう生き方をするのだろう」というケースと、「失うものがないから、今を生きられる」というケースを天秤に重ねると、どちらが“重い”のか、という問い自体が野暮で、但し、相応の瀬でサヴァイヴするには、以前より風向きが変わりやすい分だけ、判断までの時間が短くなる、くらいのもので、また、判断したからといって、総ては変わらない。

総てが変わる、というのは「死」くらいのもので、「死」は待ち備えたり、風を読んだりするのではなく、突然、容赦なく来る。暴力的なくらいの突然性が「死」で、それを前に無心になれるとかは後付けで、過ぎたら、生の手触りが戻ってきて感謝したりするものの、その生の手触りも繰り返しの中で麻痺してしまう。花や山、綺麗な絵画、美術品を見続けていると、どれも当たり前のものになってくる。続く現実、と、続ける意思の拮抗性は難しい。現実は続き、摩耗もしてしまうが、主体意思によって、ある現実から降りれば、ある側面の現実はどうでもよくなる。ある側面の現実とは、既存の書割のことを指すのかもしれず、所属する場、家族、最低限の生命維持ができるならば、以外は負う必要性はない。正しいジャッジだと思う。あくまで、「正しい」だけだが。

そろそろ過熱も冷めそうだが、ピケティの日本書が6,000円すると聞いて、「そんなの買う人がいるんだね。」という膨大な声が交叉する場所はSNS上だけではなく、自己が保全できるための皮膜のような中での普段だと漏れ聞こえないはずの声で、その6,000円は、“ピケティの書籍”を指していなく、アウラとして当世の“6,000円そのもの“のことを言っているだけに過ぎず、価値経済での言語共有は艱難になっている、ともいえるが、そもそも、共有できる言語はある一定のギルド制でこそ有用だったりもした訳だから、今ほど自由に位相の違う言語が行き交うのを見られることはないというと、また違う。新聞やメディアには即座に反映されなくても、SNSや会員制のサイトでは「真実」が書かれている、という言説も“SNSや会員制のサイトをやっていない、登録していない(または参加許可を得ていない)真実を握る人たち”からすれば、その「真実」とは何だろう、となる。

”彼らの知らないことを自分だけが知っている”なんて鏡像性が増えると、より自由ではなく、窮屈に“自分で自分を監視し合う“磁場ができてゆくのだろうかとも思える。”HE GOING TO THE LOCAL.”と茶化すように歌いながら、デーモンは、なんとなくオブセッシヴで自意識が肥大した自家中毒的な社会へ向けて、「Go Out(一歩、出てみたら)」と訴えかけるようなのは、面白い。この「Go Out」のMVも含め、作り込まれ過ぎないことで、逆に、作られた、作られてゆく膨大な規範、常識らしき何かの脱化、縄抜けを想いもする。もはや、そこにあったものはなく、なくなったから戻らないことがあると分かれば、なかった何かまで追いかけなくても済む。