タモリは、続く

この時期にナイーヴかもしれないが、タモリ≒TVメディアの終焉(周縁)を表象するように、亡き赤塚不二夫の弔辞の際の彼を巡る言葉以上に、昼・タモリが終わる、同時に、タモリを敬う磁場は不気味にさえ思える。

確かに、32年もの間、昼の生放送を多少の欠勤はあれど、皆勤してきたバラエティー番組が、2014年3月に終わるということに対してのグランド・フィナーレの様相は過剰さを増している。笑福亭鶴瓶の乱入による昨年の「番組が終わるのか?」という振り(情報の非対称性、つまり、本当にあの時点で幾数人にしか確たる情報はシェアされていなかったのだと思う。)から、2014年から、世界情勢の激変以上に「タモリ」の改竄作業が急速に進んでゆくようで、恐ろしかった。急遽、決まる、レギュラーのとんねるず、そして、彼らのタモリに対しての敬愛の念、ナインティナイン岡村も然り、どんどん、ひとつの昼の他愛のないプログラムを巡って、ゲスト、裏話、68歳を迎えたタモリ森田一義という人間の本音がどんどんディスクローズされてゆき、ついには日本の現在の首相までもが生放送に出るという段階に上がった。

ちなみに、自身は2010年にCOOKIE SCENEタモリについてこういうことを書いている。

タモリという「存在」
http://cookiescene.jp/2010/08/post-77.php

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再更新しようと想いながら、この時点での自身の思考は然程、変わっていない。

新書や色んな形でのタモリ考察が出ても、ベースの考えは「ここ」にある。ゆえに、タモリが終わる(昼の番組が終わる)ことに対して、正直、感慨はない。多くの方が言及し尽してもいるが、積極的に「観る」TVプログラムではなかったのは変わらない中で、今でも、たまたま入ったランチ・タイムの店で雑音のように流れているという印象はそう微差は、生まれ得ない。それでも、「くだらないことやっているなぁ。」という安心と、柔らかな侮蔑的な意識がそのTVプログラムの強度を確定していたのかもしれず、もう積極的に「くだらないこと」をできない瀬に欠かせない、バラエティーというジャンルは今後、より貴重になってゆくのだとも思う。動画配信サイトで追尾し、カット・アップし、良い部分だけを“保存”なり“チャンネル登録”して繰り返す―そこで、蘇生するのは過去にピン留めされたタレントだけであり、タレントとは、「才能」と翻訳すれば、“SAY NO“の亜種がそうなのかもしれない。何へのNOなのかは、受け手が多角的に解釈できる。ツイートできる。シェアできる。

だから、どうなのだろう。

3月でタモリがいた昼は終わる。そして、新しい春が始まる。

その季節を名残惜しむこともなく、イグアナ、四か国語麻雀、全冷中などの記号を付加させてもいい。それでも、「老化」した極限のアナーキーなニヒリストがこういった壮大な幕引きを望んでいたのだろうか、疑念は残る。

しかし、日々は続く。ミュージック・ステーション、ブラタモリタモリ倶楽部といったこれまでどおりのプログラム。さらには、愛してやまない鉄道、坂道、東京の東側に対して、残った時間を使って、動きまわる彼のこれからをフラットに見届け、居酒屋で一献交わせような旧さを僕はいまだに向こう側に視る。さらには、大和西大寺駅におけるトラフィック・ラインの複雑性と高度さについて、いつか語っていた彼が反像化する。