above floated karma

「落語とは、人間の業の肯定である。」というのは故・五代目立川談志の有名な言だが、昔から色んな演題を聞き、寄席にも足を運んでいたものの、そこで描かれる人物は巧妙に狡猾だったり、間抜けだったり、ときにいい加減で、どうしようもなかったり、とつまり、今の人間の生態と変わらない、ありのままゆえの生きる業(ごう)が絡み合って一つの活き活きとした情景を浮かび上がらせる。ベースは、飲む・打つ・買うといった大衆生活のテーゼが普遍的に、可笑しみと艶っぽさを誘う。番頭、丁稚、夫婦、親子、長屋暮らし、お酒、博打、お茶屋遊びでのひと騒動、軽く“あの世を覗いてみる”所作、当世では言語そのものが禁句、廃語とは言わないが、文化的な倫理配慮の問題などで使えなくなっている言葉の膨らみが実のところ、良いサゲを生んでゆく。同じ演題でも表情のある噺家によってイメージする風景が変わってくるのもいい。名人と呼ばれる人じゃなくても、この演題はこの人が、というのはあるもので、そこもいいな、とつくづく思う。

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落語に限らず、多くの体裁の整った日本語の機微とは感情や特定形質だけを指示せず、固有の伝統や大衆の中での語り草を当世に刈り取り、収めて、再び再伝承する際に、渋々排除されてしまうのは止むを得なくも、その言葉が死んだからといって、その言葉に該する事象が無くなる訳ではなく、「この健全な社会においてホームレスは居ない。」という建前の前提に、“ホームレス”という言葉の前は、その前はどうやって形容していたかと遡及してゆくと、あたかも言葉の変質によって、対象性を曖昧にせしめるような磁力を感じるとも思う。どんどん何かを説明できる言葉が増え、横文字が増え、簡略語も増える。時代の流れに任せて、それはそれでいい。分厚かったマニュアルを細心深く捲らずとも、盤石なソフト、システムで粗を周到に探してくれる。粗から零れた本質的な何かは問われぬまま、その言葉はいつの間にか、鮮度を喪ってしまう。鮮度というのに語弊があれば、博物館、資料館に収められてしまってはやはり可塑性がなくなってゆく訳で、ピン留めした知性と言葉は流動的な情報に外在化する。高速度で行き過ぎる情報が新しいのではなく、受け止めるべき、固定的と思える知、感性の方がフレキシブルで「動く」。昨日、録画しておいたドキュメンタリーは今日、もしくは一年後、見ても、「昨日の、ドキュメンタリー」で、その一日後、一年後に見た自身の知覚は明らかに、昨日とは違う。何を当たり前なことを、という議論になるかもしれないが、そこに置かれているものを見つけるか、見つけても見ぬふりするか、認知するか、認知のための理解の文脈を敷けるかというタイミングに位相が混線しているのに対し、フラット化すべきではない場合があり、そのフラット化された見出し、附箋がニュース・サイトのトップに並んでいても、恣意性が強固になっている発信サイドと、嗜好やルーティンでアクセスする受信サイドの意識はクラウドの中に巻き込まれるから、自分好みの見出し、記事、ニュースが並ぶ確率が増えれば、よりウチとソトの分線が厳然となされる。誰かにとっての宝物が誰かにとってはガラクタにしか映らなくても、ある種の感情論で否定するより、想像力や良識の閾内でウチもソトも往来しやすかったはずだったのがどうにも、粗雑にウチの論理でソトを排そうとしたり、ソトの論理でウチを囲もうとする姿勢の構え方が速い。ネット上のことで片付かないのは、実際に国の中だけでなく、民族間、国家間の軋みが露顕してきているのでわかるように、分からない“から”反対する、みたいなムードさえ生まれている。ムードだから「なぜ、その具象に反対するのか」という問いには理論的な前景より感情本位の後景の方が軽やかに映る。

―クールだから、目の前の波にのってみよう。人波に参加している自分は“ウチ”にちゃんと居るから問題ない、みたいなポージングからファッショナブルな秘匿帰属のピース・サインは何を希っているのか、分からなくなるが、そこまで解ろうとせずとも『地獄八景亡者戯』のよう、此岸と彼岸は鯖で中るか中らないか、河豚の肝を敢えて食べるか食べないかくらいのものとも思う。彼岸行路に提灯がともれば、懐かしい顔がちらほらと挨拶をかわし、三途の川も今や立派な豪華客船も停まっているのかもしれず、橋を渡す鬼も船賃を決めるのに難渋してそうだが、アルゴリズムが盤石に組まれて、システマティックになっているのかもしれない。もはや、「来年の話をしても鬼さえ笑ってくれない」かもしれない。この演目を聞くと想うが、生きることは大切だが、「死」が肥大し過ぎた無的な何かと考えて過ぎてしまうと、大事な生がカンナの削り粉になってしまうのも道理で、例えば、90年代後半から00年代前半の一時期の親近者の死がナラティヴの隆盛になっていたときの世界はセカイでどこか「遠かった」。遠かった分、愛しき近しい人を亡くすナラティヴがひとつの汎的装置性を帯びていたのだと思う。しかし、世界が近くなったようで、死の予感も包摂され始めてくると、初めから「死」で始まったりする。映画やアート作品でも、執拗な細部の反復とディストピアを描くことがデフォルトになってくると、現実との飛距離の分だけ強度を増すような要所もある分、「現実の方がマシだ。」となる倒錯が寧ろ、心地良くなるのは当然だろう。メタで超えられたはずの向こう側より、ベタで静的なこちら側に蹲踞しておいた方が多方面でリスク・ヘッジできる。ただ、何れにせよ―容赦なく、突然に「死」は不条理に存在体の総てを攫いもするには変わりない。誰かにとって無関心な死、誰かにとって自らの命を取られるより辛い死という場合があることほど左様に。

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今年の三月に亡くなられた桂米朝の有名な挿話のひとつに、四代目桂米團治の兄弟弟子で頼りにしていた矢倉悦夫こと桂米之助が亡くなった知らせを大阪のホテル・ラウンジで呑んでいたときに聞いた折、少し考え込んだような沈黙のあと、丁度、酒の肴を頼もうとしていた彼はウエイターにそのまま「サイコロステーキを。」と言った、というのがある。それだけをして、非情だとは言えない。他にも大事な弟子を師匠として先に見送ったり、ということがあったり、と、ドライで居られるためのそこで自身の引き出しは哀悼の深い意と食(生きること)への欲とは明瞭に自己鍛錬の末、為されていたのだと思う。今の若者は不甲斐ない、とか、生命力がない、とかの言説が通るのは時代背景に収斂するのではなく、生きている、生きてきた環境や周辺状況、偶さかの要素に左右されるのだと思う。先ごろ、デング熱が流行ったときに、90歳代のお婆さんの投書で「若い頃、デング熱に罹ったが、薬も何もなかったのもあったが、乗り切った。」というのを見たが、おそらく、デング熱で難渋された方は当時でも居たはずで、ただ、今みたく、迅速にディスクローズされ、不特定多数に伝播し得なかったというだけだとも思う。ダイレクトで全く知らない他者の近況がぼんやり分かるのは幸福なのかどうかは問わず、死生観の内奥とは生きてきた、感じてきた人それぞれのアンテナの差異がある。出会わなければ、知らなければ、“その死”も重くならなかったはずだとも正論としてある。しかし、誰とも交わらず、出逢わず生きる月日とはどのような重力を持つのか、も考えてしまう。もちろん、何らかの事情でそういう月日をおくる人も居る。そして、そのまま終える人も居る。断じて、無意味ではないと思う。ただ、意味のある生というのも難しい概念で、後世に名を遺す人を受け継ぐのも人だとしたならば、墓碑銘の向こう側とはやはりこちら側じゃないか、と想いさえすることがある。

涙も枯れて、時間の流れが解決する様なうねりの中で、ハタと夢で残影がよぎれば、目が覚める。

目が覚めなければ、悼みは消えるのか、といえば、消えない。これだけ時代が足早に移ろえど、日本にお盆がなくならない理由も分かる。

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それにしても、落語の奥行きはまた受け止める年齢や経験値で変わってくることを痛感する。江戸落語の人情噺、小噺、または古典もいいが、生来、上方落語の戦後からの苦難の過程、出てくる場所への想い入れ、演者の方の妙味に魅かれてしまう。五代目桂文枝、三代目桂春團治、六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝の所謂、四天王は物心ついたときには前世代的に当たり前のように鎮座している大御所といったイメージを持っており、やはり桂枝雀のあの魅せるための落語といえるものが最初だったといえるかもしれないが、どちらにしても、日常生活に落語は馴染み、天王寺を巡る四方山話から、噺家の方とすれ違い、場所を共にすることもあった難波の心斎橋、道頓堀、法善寺横丁の劇場、喫茶店、飲食店。味のあるマスターやママが一座り幾らかで、多くの話をしてくれたこと。歌謡曲のロマンティシズム、昭和の時代の香り、手作りのミックスサンドなどが心身を緩やかに解し、適度な夜の帳と賑やかな外からの声、男女間の毎夜の駆け引きが五感を鎮静化させ、法善寺の水掛不動に柄杓で水を掛け、賽銭とともに願を掛けて、帰路につく時代もあった。バケツの水が少なくなっていたら、ポンプで水を入れておくのも勿論、忘れずに。美味しい珈琲をたてる喫茶店、程よく人懐っこさがあったデパート、怪しい映画館、昼から繁盛している居酒屋、軒先で摘まんだおでん串、兎角、を重ねてゆくと、興味があるものに体力が付いていかなくなってくる。その分だけ、世の流行り廃りに多少の目配せはしながら、芯たる人の業らしき何かに再度、降りてゆく感覚がある。健康であれば、それらも楽しめる。だから、健康を保持するため、病院へ行けば、何らかの病気、病気の予兆が診てもらえる。今の時代は早期発見で、かつては名前がつけられなかったような病気でも発見でき、治癒もできる可能性が高くなった。しかし、想い出すと、「夏の医者」という演題の枕で、桂米朝が藪医者の諸説に触れつつ、「寿命です。」、「手遅れやなぁ。」のどちらか二言を言われたら返す言葉がないとのくだりがあり、そういう生もまた、ひとつだという気もしないでもない。長寿の方法を考えるほどに長生きの世知辛さを想うのもまた、人間の業なのかもしれない。

八月があと一週間ほどで鱗雲を散らせば、春夏秋冬では区切れなくなった余白を穿つ新しい月、季節が巡り来る。それだけが解っていれば、明日までそんなに遠くないようで、俟つのは悪くない。

the way back of advance of civilization

最近では犯罪学の領域を越えて、「割れ窓理論」の概念があちこちで見受けられるようになった。ある建物の窓が一つ割れていると、その一つが危険察知していない、ヘッジしていない証左となり、他の窓も壊されてしまう、または建物本来の価値が落ちてしまうということだが、これが援用されて、ある先例が生まれてしまったら、後の二次被害を起こさないように、もしくは“先例が起きる前に”といったケースで、過度なまでに“割れている(だろう)窓を修復する”ための導線引きがこれまでだと気づかないところで行なわれているものの、指紋認証とカードロック、更に照合の度合が厳しくなる施設に入る際には、管理されている怖さより、誰もが誰をも分かり得なくなっている想像力、忖度の幅の分だけ、非の打ち所がない正論といおうか、もっともらしい決まり事が雁字搦めに「個」を縛り付けてゆくような感覚の窮屈さも想うようになってくる。例えば、イベントやアミューズメント・パークに行くと、予めの規制と個々の自由意志の中で羽目を外せる訳だが、列は並ぶものという暗黙の共通認識のような何かが崩れ出しているときに、列に割り込んだ人と喧嘩をする、喧嘩で傷を負う、そんなことが起きると、今では即座に情報の伝播が為されやすいのもあり、示談で済んでいたような症例さえ、第三者のジャッジやただの意見が介入したりしてしまう。

敷衍するに、その小さなレベルの事象が倫理観、宗教観、民族間と混ざり合い、環境要因まで撹拌してしまうと、モラル・ハラスメントなど幾つもの条件制約に該する。子供が欲しくても、色んな事情で持てない人がSNSの微笑ましい知己、または誰かの子供の写真に落ち込んだり、見ないようにすべく距離を置いたり、飲食に対する文化が違う人たちには禁忌たる食を載せることが問題になったり、おそらく、何気なくしている「当たり前」の無意識の善意らしき何かが膨大な悪意の束とまではいかず、無配慮、割れた窓を作り出すケースもある。動物、子供、景観、はたまた、友人、恋人等と「共有」し合える場を誰かと「共有」する際の飛距離の細心さはシビアになっているようで、先日、少し足を運んだ炎天下のイベントではセルフィーのみならず、膨大な量のデータ、写真がその場で発信されて、「今、ここにいます」という所在のための(自)意識を非所在の外へ投げ出している集合的無意識のような何かに中って、考え込んでしまった。自身が旧い人間になってゆくだけならばいいし、一回り世代が変われば、その世代なりの幸せや楽しみの追求の仕方、また、コミュニケーションの形式も変わり、効率も良くなる。技術の変遷を除いても、効率の良さ、コスト・パフォーマンスの良さはこの10年、劇的だと目を見張るし、やはりストレスフルに重たい負荷でやらざるを得なかったときよりは今の方が何かと便利で、「昔と今」は感覚論の是非より、フィールドに依拠するとつくづく思う。キーボード、タッチペン、音声認識と出てきても、やはり実際に書く所作は大事だし、書くためには鉛筆と紙が要る。読み書きができない状態だったり、鉛筆と紙がなければ、必死に憶える。憶えたものは伝承や教授の形で受け継がれる。ベースは変わらない。異国語習得の前に自国語をしっかりやらないと、というのも同じことだろう。そして、パラレルに“同じ(ような)題目”で話していても、噛み合わないことが増えたと感じても、その機会が増えたというだけで、ベースはお互いに噛み合えない場で、歩み寄ろうとする配慮がかろうじて繋ぎとめていた関係性の力学がコミュニケーションやネットワークと言えたのかもしれないが、時期が来れば、巣穴に還ることも是で、その時期が早いか遅いかは当人にしかわからない。大事な何かを手放すとき、手放そうとしているとき、人間は基本、高貴な沈黙をなぞることがある。黙した覚悟を持った人は長い帰り道を歩いている。帰り道に声を掛けるべきではなく、せめて、帰路の安全を願っておくしかない。でも、その高貴な沈黙たる帰り道にまで割れ窓理論に沿い、街燈が設置され、喧しいアナウンスが付きまとうようになれば、どうなのだろう。無事の帰路についた後、交わせるはずだった挨拶さえ霧消してしまうケースも出てくる。

賑やかな行路を折り返しての、帰り道は出来るだけ静かに越したことはない。

more thinking in while scattering flowers

ミニマリスト”というテーゼが今の時代では以前よりは違った響きを持ってきているようです。最小限度必要な生活条件を整えた者みたいなニュアンスでいいでしょうか。一時代前の哲学者的な意味合いではなく、ナチュラリストとしての側面も強く感じます。とみに断捨離、隠居、(必須ではない)移住といった言葉、意見群は散見され得ますが、どこか悠遠で掴みがたい語句のような気が自分の中では根深く、ある程度の年齢や経験を重ねた人たちの行き着く「彼岸」と置換しますには安易かもしれませんが、小さい人生の中でも“万が一“が起きますゆえにふと焦がれはしますが、すぐには「できない」のは正直なところです。但し、先ごろもほぼ同世代といえます1981年生まれの方の旅行書を読んでいますと、「自分がある種、バックパッカーの最後の世代かもしれない。」との記述がありました。『深夜特急』、猿岩石のヒッチハイク、90年代の自分探しの彷徨の中に何となく位置づけられたここではない、どこか―。それとなく貯まったお金と時間があれば、大学生などはフラフラと異国に出たものでした。記憶資源としてそこを懐かしむ情景もあり、でも、戻りたいか、といいますと、戻りたくなく。同世代でカラオケなど行きますと、小室系やJ-POPなど最大公約数の懐メロが何だか生育環境の諸因子を差し引いて、場を和らげますが、どこか、ノスタルジアの甘美な罠に自意識がまとめてコロニアル化されている気がして、妙な心にしこりが残ります。「あの頃は良かった」、のか。時間が解決してしまえば、よく乗り切れたという今が「あの頃」になりますが、あの頃の記憶の牢獄で無限循環的に生きている人も居ますし、具体的な疾患のケースも含めまして、そこでぐるぐる巡る「生」とは何なのか、との想いが膨らみます。90歳を越えて、穏やかに最期を迎えました祖父の晩年は大好きな高校野球や大相撲、戦争体験が破片的に混在しながら、認知症のなかで不思議な空間をさまようように、でも、見た目は健康体で溌剌としていました。そしてよく、地道に生きてきて、戦地で戦死した友を想い、成長してゆく日本を横目に祖父は「独り身の自分だけが生き延びて、家族がいたあいつがこういう景色を観ていないのは不公平じゃのう。」というようなことを言っていました。不公平や不条理とは生老病死の内奥で、人間が生まれてから切り離せない問題なものの、あの頃と、未来のほの暗さに引き裂かれるのは、時代背景はあまり関係なく、実存の「個」に準拠、担保付けされますからして、生きにくさの形質を考える所作はどうあってもいいのではないか、と改めて多様な契機が都度、附箋されていきます。今は今でしか観えなかったものもありますし、というのは人それぞれで、また、前述のミニマリズムの文脈沿いの有耶無耶といいましても、十二分に捨てるほど、モノや想い出や経験があるんだな、ってことではなく、(ミニマルに)なってゆく方向性でいいな、とは過剰な幸福度数の争いごとやマックス・ウェーバー的に、肥大していった資本主義や近代合理主義に対して実存的認知することへの多少の辟易、抽象性の高いマネーゲームが自我を囲い込むさまなどに止むを得なくも、「”それ“でもないな」と思う事柄が募ってきた、というのは自身がその恩恵を先行世代から受けてきたというのも根にあるのかもしれません。

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運ぶのも大変な分厚いパソコンから、携帯電話もあっという間に快適に変わってゆき、規制緩和の下に以前なら手に入りにくかったものでもアクセスの手続きが簡易になっていきました。また、遠国問わず、海外に行くのでも、飛行機に乗るのでも、また、ちょっとした文化的産物に触れるのでもまるで辺境の空港でも通じるWi-Fiのようにフリー化していき、それはフリーミアムとして牧歌的に名づけられていたのはつい10年代前後で、そこから、フリーミアム(Freemium)→シェアリング(Sharing)→メーカーズ(Makers)なりの流れを辿り、今はまたロジスティクスに於いてのIndustry4.0というように急速度で転回していきながら、無縁であるようにすれば、どこまでも無縁で居られるというのが情報の非対称性では片づけられない暗黙知形式知の分断差も「峻厳になっている」ことに鈍感で居られる証左なのかもしれず、カール・ポランニーみたく、高度市場主義経済の進捗とともに起き得ますコミュニティの結びつきの解体へのナイーヴな視座や「悪魔のひき臼」のうえで顕在している犠牲者はどの範囲まで犠牲者なのかは明瞭ではなくなっている気もしています。しかし、そこでよく出てきます大文字の“勝者/敗者”という二軸を置くことには進行形での価値経済、評判経済の節目が仮託されるようになり、反動的に自由度が増しているかのような錯視の中で以前とは形態が変わり、貧困(学)から過度の成功哲学自己啓発の領域を越えてきたような書籍群やあまたの論をなぞっていきますと、不可思議な感覚に襲われることも並列して、包摂します。どちらも極端で興味深いのですが、どちらも良さそうではないな、など。

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“欲望が、人をしている”と表現できますように、限りなく贅の限りを求めていけば、その先は、今は色んな形があります。それはある人なら不動産かもしれないですし、絢爛な飲食、はたまた、名誉や栄光だったり、と。でも、ある人ならば、ささやかなサークルでの生活を護ることだったりしますが、今はその壁が「縄抜け」できるように―本当は、どちらもどちらに払拭できない距離位相があるのですが、別として―知ることだけはできるようになってきました。なぜ、あの人はあんな良い生活しているのに自分はこうなのだろう。また、自分はこれくらいの節度で丁度、いいのに、あの人は無理をしようとしているのだろう。それぞれバイアスとしての自我が入りますから、虚勢や見栄は込みとしましても、厳重にCLOSED出来ていた何かにアンロックできるための構えは個々で軽くなってきたとも思えることが。SNS等でいわゆる、ABC、ANIMAL-BEAUTY-CHILDRENの三種を見ない日はなく、それらはコピーライティング的に”無難“かつ”越権性“がありますから、更に増殖していきます。画像が言葉に対して、訴求性を持つ度合いなども考えますと、「いい画」はそのまま、層を抜けて「届く」のでしょう。しかし、そこに、メタ・ネタやオピニオン的に政治的信条や宗教的倫理観、精神論などが挟まってきますと、前提条件の設定域が昔よりイージーになってきているのかと思ったりする機会も多くなり、ただ、ABCばかりでも苦痛になってゆく人の存在も思います。ペットロスで悩んでいる人が可愛い誰かの犬や猫の写真を観て、落ち込む。病床に伏している人が綺麗な景観に寧ろ打ちのめされる。子供に恵まれない人が子供の成長過程、写真を観て、というのはもっと深甚かもしれません。それぞれの事情ゆえに、「じゃあ、観なければ、止めればいい(と言えない)」世の中でもあり、難しいところですが、冒頭にかえりますと、何らかの降りてゆく人たちへの手立ては別に、経済・心理枠のセーフティネットに降りてきますからいいとしまして、では、複線化しています言論が麻痺しています中枢に参加許可はなくても、じっくり考えてみる少しの滞留を、と。ウロボロスの蛇みたく失礼ですが、ミニマリストも大文字の母数の決断に支えられました、「個」的な何かを越えました、よく分からないうねりに突然、人為的にでも巻き込まれるものですから、せめて、どんな状況でも胸に毅然たる花を、とも。

常設化された熱帯夜の、ディスクリート

1)

ポジティヴが「過ぎる」と、アレルギーのような反応が起こってしまう。かといって、そのポジティヴの背景に鬩ぎ合うマイナスの要因がかろうじて、過ぎない程度に背中を押しているのならば、なんとなく信じられる。1か0か、の「決断」はあっても、「判断」はないのと同じくして、0.00000….1くらいの無限背進のような極数でプラスが勝っていたら、何らかの形でそれを“ポジティヴな何か”とみなされる程度のもので、周囲から見たらどうにも不遇に思えるような状況でも、不幸では決してないケースはままある。この数年で色んな境遇の人を見送った、自分が見送られるかもしれないと思ったときも正直、時を掠めた。深い井戸の底のような場所で、ただ、同じ書物を読み、狭い部屋で異言語の頭で異文化のことばかり考えていた、終わりのない煩悶の中の景色は消えず、これからも残るのだろう。それでも、それが無為だったとは思わず、無為とは「なにも、しない」こととしたら、本当に無為な状態とはもっと淡々と悲しいはずかもしれない。そんなときには悲しさに浸る余裕はなかったほどに自己は不確定のまま、投げ出されていたのを想い返すと、だが、時間が解決する場合もある、と「だけ」思った。時間では決して解決しない膨大な課題群を傍らに。

2)

花の細かい種類はなかなか憶えられないものの、図鑑を捲る機会と花屋に寄ることが増えた。季節のものを確認しがてら、時おりの贈り物としてプリザーブド・フラワーを勧められる。年々、プリザーブド・フラワーの、その種類の増え方に驚きもするが、同時に、枯れない花が残ったままのあとも想うようになった。施設や人によっては生花が駄目だというのも増えたので、プリザーブド・フラワーが出たての頃はよく買っていた。その過程で、今年の〇〇は色合いがいい・よくない、などの機微、彩りに気付くようになってから、枯れる美しさを孕んだ生きた花の強さに気付きもした。品種改良の果てに、元来の良さが失われてしまうのは自然に問わず、ある。そういう話も花屋の方としたりしながら、フラワーアレンジメントの手捌きと色の合わせ方によってここまで印象が変わるのか、再確認もした。色が暖かく撥ねて響くと、冷えた空気を変える。息がしやすくなる。

ある友人は日常を忘れてしばらく、どこかに旅に出たいと言う。ある友人は家族で救われたと言う。別の友人は家族という形態に苦しめられている。生きていたら遠心的にでも、もしかしたらクロスするのだろう、くらいの感覚で、旅、家族、幸福、歳を重ねること、といった何だか大げさなようなテーマが当たり前に小文字で游ぎ、静かに消える。テンポが変われば、そんな風になる。高低差のないただの日常で高山病に潜水病になってしまう瀬だから、息がしやすければいいな、と思う、それぞれで。

3)

「平和」という状態の対義語は「混乱」としたら、「戦争」という手段の向こう側は何なのだろうか、考える。既に、集合的に心理的な恐慌状態が起きているから平和ではないよね、というアフォリズムは無機化しているにしても、経済的な合理手段として(戦争)牽制する効果はどこまでの認知のリーチが届くのか、はジョン・ダワーの一連の著書、加藤典洋敗戦後論』などを読み返しながら、いわゆる、新自由主義以降の見取り図を確認すると、選択肢は無数にあるようでなくて、その選択肢にあまりに無防備な政治的アパシーがダイレクトに「直結」されてしまう文脈という病、因子を辿り、もはや一時代前のものになってしまったが、1976年のダニエル・ベル『資本主義と文化的矛盾』で定義された様なポスト・モダンの刹那的な価値観と文化的デカダンスの鬩ぎ合いへの今更の視座とともに、モラル・マジョリティ(道徳的多数)とは逆方向の騒がしさに距離感を憶えているのはどこまで共有されているのだろうか、というところで一旦の休符を置く。

「共有」概念は、そもそも、もうちょっと警戒して堪え忍ぶものじゃなかったのか、とも。誰かが「何かを云う」ことへの賛同/否意はリアクションとして、意味はあるが、そのリアクションだけでは意義が出てこない。何故ならば、その誰かが「何かを云っている」共時性の中に自己がどこまで反映されているか、いないかの線の引き直しの思考のブレスがある程度、必要で、制度側の白線で明確に「分ける」のは後々、禍根を生む可能性が高くなる。割れ窓の理論も分かるものの、極端化された強風で、風下に立っていると、元来の風向きが分からなくなる。分けられたことで、分からなくなる―それを環境や想像力の格差で含意すれば簡単だが、深刻な実相はより他者性への冷酷さで示されるなら、ちょっと違うだろうとは思う。自分のことで手一杯だから、真っ当な正論に靡く、とは思考停止とは違う思考放棄の所作で、勿体ない。予備校の講師がいつかに「今でしょ」とパフォーマンスしていたが、今すべきことじゃないことなら、しなくていいと心から思う。勿論、いつかはなくて、今しておかないと一生できないことはある。例えば、健康を損なえば行動範囲は狭まる。でも、思考できるなら、想像範囲は広まるかもしれない。或る名所に旅に行きたいと思っていたら、紛争や天災などで警戒地域になってしまって行けなくなってしまったり、今度、会おうと思っていた人に二度と会えなくなったり、色々起こる。でも、そういうことは過去から起こってきたことでもあって、今は今で「不安、不幸になりたがる」傾向の人たちの根脈を探れば、イージーに思えてしまうときがある。ときに、経済的与件は大きい問題になるが、無論、その与件は社会システムが共通認識の下で形成可能性が高いうちは「交換」できるものは多く、でも、社会システムの共通認識が底割れしていけば、交換できない貨幣や貨幣的な何かは増えてくる。その際に貨幣で交換できる未来と、貨幣で交換できない今の満足係数の互換も思うようになってくる。

タクシーの運転手の人と話すと、異口同音に乗客のマナーの問題を言う。要は、お金やその方の大事な時間を戴いている身だから、最低限、何でも言う事は聞くけども、そこを越えてくる、振る舞いの酷い人の確率論が増えた、と。タクシーの運転手の方も千差万別だから、乗客だけの問題じゃなく、自分が乗っていても対価サービス、ホスピタリティの低い方に会うと、「移動」のための時間でもなんとなく不快になってしまうこともある。でも、そういったことも時たまの、良い運転手の方の配慮やサービスで帳消しにされてしまう。色んな境遇の、色んな条件性で生きている人が社会の中では肩をぶつけ合っているゆえに、慮る境界はあるにしても、その境界線は何だかもっと「いい加減」だった気がしていたら、そうでもないようで、と体感する温度計は、とうにいつかの基準を振り切っていたのに熱帯夜に気付く。

4)

(長生きの意味ではない、)生き「過ぎる」こと、枯れない花、熱帯夜の認知時差―これらのバラバラな点を結ぶようなロードマップを考える。過程での、あの道は封鎖されたんだっけ、抜け道はどうなったのか、照応してみないと、なんて事柄をマッピングしてゆくのは存外、楽しく、楽しい時間はずっとは続かないのはわかっているが、楽しくするための必要内での労苦を続けないと、保留さえされない対抗への解除の論理を鍛え直してみている。

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

ありあまる、実存

時おり昭和時代とまではいかないですが、昔のラジオなどの音源を聴いていますと、アナウンサーやナレーションの方のテンポが「遅い」と思ってしまうときがあります。ただ、よくよく考えますと、今の時代のテンポに慣れてしまっているのかもしれないとも我に返ります。元NHKでディレクターをされていました志村建世氏の過去のブログ記事によりますと、アナウンス原稿が1分300字だったのが08年の時点では350字ほどになっていると指摘されています。(※参照:志村建世のブログ : 現代人の早口」)情報量を捌くための時間対効果が鋭角的になったという見方もできますし、テンポよくカット・アップ的にシーン・チェンジさせていかないと、受容者はすぐに飽きてしまうという仕掛ける側の事情もあるかもしれません。

膨大な情報量を日々刻刻、キャッチアップするほど、有用な情報はそう溢れている訳ではなく、勿論、人それぞれの「有用」とは違いますが、あまりに高速度で行き交う言葉や感情論に金属疲労のような感情をおぼえたことはあるのではないでしょうか。「スマホがないと、SNSを使っていないと仲間外れにされる」と知り合いの母たる友人に言っていた小学生の子が居ましたが、その内部で行なわれている外側で成り立つ関係性の力学の在り様を物語っているのでしょう。一緒に遊んだりした後に、「また、明日。」と手を振った後に、夜中にやり取りされている仲間内のSNSやオンライン・ゲームなどのサークルで行なわれる何かに疎外をおぼえることで、翌朝の現実の教室の空気感が変わっている、ともあるのかもしれません。何でもそうですが、今は即座に何かに「反応しないといけない」ような、オブセッシヴなまでのコンプライアンス、公正倫理の名を借りた奇妙なムードが自明の理として通底していたりして、“ニュースの見出し“の数秒後には驚くように色んなコメントや反応が並ぶのを目にしますと、また、「短く、巧く言えている人」に評価が集まっているのを見ますと、いつぞやによく援用されましたラザースフェルトのオピニオンの二段階流れ説みたいな社会学の概念の変容は言わずもがなのでしょう。

私以外は、景色でしかない報われなさ)

更には、世論調査などで使われます「世論」、もっと敷衍しますと、「世間」というのは今はより不気味な何かを指して何も差さない惹句になっている気がします。異国の方に「世間」という言葉を説明する際に苦労しないでしょうか。「社会」でもなく、「所属する共同体」のことでも精緻には違う。ただ、日本では「世間様に申し訳がたたないから。」、「世間体を考えて。」という言葉が当たり前のように用いられます。村社会での名残を指すというより、親族関係や地域コミュニティが密な紐帯で結ばれていましたときに、ある程度、仮定して世間の先には浮かぶ顔はあったのでしょうが、今の「〇〇が許しても、世間は許さない」といいました類いのファッショな紋切型の言い方はどうにも居心地の悪さをおぼえてしまいます。だから、影響力といいましょうか、発言の力の強い方たちの言葉には注釈であくまで、個人の見解です、や、持論を展開した、というエクスキューズが増えてゆくばかりで、言論の自由とは何なのかより、不自由に正論を言う的確な能力のスキルの高い人のアンテナが気になってしまいます。何故ならば、極論、暴論を言う人より、そういったバランス感覚のいい人が行間に匂わせるものの方に魅かれるものがあるからです。作家の福田恆存氏が『人間・この劇的なるもの』という著書の中で以下の事を述べていました。

人が自由という観念におもいつくのは、安定した勝利感のうちにおいてではない。個性というものを、他者よりすぐれた長所と考えるのは、いわば近代の錯覚である。ストイックやエピキュリアンにまでさかのぼらずとも、つねに人は、自分がなにものかに欠けており、全体から除けもの(のけもの)にされているという自覚によって、はじめて自由や個性に想到したのである。が、このなにものかの欠如感が、ただちに安易に転化され、弱者の眼には最高の美徳であるかのごとく映しはじめるのだ。
(p,95、『人間・この劇的なるもの』(新潮文庫))

人間・この劇的なるもの (新潮文庫)

人間・この劇的なるもの (新潮文庫)

僭越ながら 参加していますmusiplでも昨年末に触れましたレビューindigo la End『瞳に映らない』/ musipl.comでフロントマンたる川谷絵音というソングライターのことについて“彼の中でのあなた、と、わたしとは実のところ、対象性の差異文脈を無化せしめ、空虚に「ふたり」という、ひとりの中でアフォードする感じがあるのもどことなく得心がいく。だからといって、完全に閉じ切っていない空気感が、人間というものが「関係性の生物」である本質をむしろ刺激するのかもしれず、そこが誰かのリアリティとしても、自身のリアリティに格納されてしまう錯誤性も表出してくるともいえるのだろうか”と、推考の言葉を置きました。そして、2015年において日本の音楽シーンで当時よりさらに突出したエッジな存在となっている彼は、より欠如への加速への渇望が具現化していて、マッドなほどで怖くさえもあります。indigo la Endはメンバーの変遷がありながらも、ポスト・ロック的にあなたのいない、悲しみを一気に駆け抜ける「悲しくなる前に」というシングルで新たなフェイズに入り、また、川谷が同じくフロントマンを担う、ゲスの極み乙女。は大型CMタイアップがあったにしましても、「私以外私じゃないの」がヒットし、某大臣がマイナンバー導入の際の会見で、替え歌でアピールした際に用いられたのも話題になりました。

私以外私じゃないの 当たり前だけどね
だから報われない気持ちも整理して
生きていたいと思うのよ

(私、以外じゃない)私という/報われない気持ちを/整理して/生きていたい/と思う(こと)

というのはとても現代的な可塑・流動的なフレーズで、だからこそ、行間に言葉を高速度に詰め込んで、レゾンデートルそのものじゃなく、「存在」だけを表象する孤独な刹那の自己の遷移の不自由さを代数化するために、過度な全体性への希求統合を迫るような磁場へか細い“私”の欠落が埋まらないと成り得ない提案を促すようにスピードメーターを振り切るようで、茫漠と響きさえします。

生き急ぐから、ロマンスがありふれる)

「ロマンスがありあまる」という新しい曲では、以下のようなフレーズが耳に残ります。

僕にはありあまる
ロマンスがありあまるけど
いつも贅沢に怯えていたんだ
僕にはありあまる
ロマンスがありあまるから
死に物狂いで生き急いでんだ

ロマンスがありあまる「けど」、贅沢に怯える。ロマンスがありあまる「から」、生き急ぐ。反語矛盾のようで、でも、ピアノが基調のキャッチーで畳みかけるような曲の中で矛盾なく、五感をなぞります。ただ、ロマンスがありあまっていたら、ゆっくり生きようとしないのか、ロマンスがありあまるから、多少は甘えてみてもいいんじゃないのか、というように穿って想えないのが前述の、福田恆存の言葉に沿いますところの“全体から除けものにされているという自覚”の変位を示唆、含みを持っているような気もしますから難渋だな、と思いを持ちます。

「私以外、私じゃないの」もあれだけの言葉数と展開を持ちながら、四分の間での出来事で、この「ロマンスがありあまる」も四分以内の中でうねり、終わります。ワン・アイデアや反復で押し切れるものが増えている趨勢と比して、幾つものアイデアを詰め込み、それでも、過剰消費されることを恐れず、140字以下の感想でも何でもない言葉の羅列も飲み込み、部分としての全体への反映を人身御供みたく、鮮やかに筆致してみせる川谷絵音という人の互換性を帯びます、メンシェビキ(меньшевики)的な覚悟は清々しく見えます。だからこそ、生き急いだ先に彼がどんな情景を「うた」に、また、うた以外のものとして記すのでしょうか。いつかのマクベスの筆致のように、前兆たる不安を刈り取るため、より2015年の実存主義たる様態を極めていくのかもしれません。

Sweet Anger Revue

諸事で草取りをしていますと、てんとう虫を見つけて、しばし手の平で歩く姿を眺めていました。典型的なナナホシ。小さい頃はよく見つけては捕まえて、偽死したり、黄液を出したりするのを観察したものですが、改めてこの赤は警告を示しているのだな、とか、体内にはアルカロイドが入っているのだよな、とか過酷な生物社会でサヴァイヴしてきただけの理由がほんの小さな体躯に意匠を凝らされていて、今は別のところから考えさせられます。「生き残っている」生物、植物には長い経年の中での知恵やちょっとした工夫に溢れていて、過酷な環境や状況に陥ったとしましても、適応してゆく生命力を持っています種の在り様(ありよう)まで想いを連ねますと、よくできたメカニズムだな、と感心します。敷衍しまして、昆虫図鑑を捲っていますと、不意に小学校のときに初めて食べましたイナゴの佃煮なども美味しかったな、とフラッシュバックしますが、“佃煮”という食の保存手法にも知恵をしみじみ噛み締めます。

食と言えば、歳とともにじわじわと確実に味覚もシフトしてゆくもので、どことなく漂白的でパッシヴに、闇雲じゃないものが美味しく思えるようになってきました。目で(愛で)愉しみ、食べて、触感を楽しみ、味を再び愛でる―そのサイクルの中で、最近では、蕗、牛蒡と揚げの煮びたし、ヴァーニャカウダーみたく、細くスライスしました玉葱、大根や人参をサラダ菜に包んで、塩麹ベースのソースに付けるもの、豆乳鍋に雲丹や鯛の薄造りをしゃぶしゃぶ的にくぐらせるもの、厚揚げの中に納豆を割り入れて少し焦げ目をつけ醤油と生姜で食すもの、というような献立の一部が心身を解してくれました。肉類もファストフードも食べるのですが、全体として絶対量が減り、品数を多く、また、時節、旬のものの食し方の種類により魅かれます。トビウオ、イサキの刺身も美味しかったな。たまに、食事処などに行きましても、小鉢ものを頼んで、烏龍茶で歓談しましたり、地のものを勧めて戴いたり、また、異国の方が今はあちこちに増えたのもあり、沢山の言語が陽気に入り混じる空気感はしっくりきます。ヴィーガンムスリムの方も当たり前に許容されていく瀬で、宗教性や民族性を越えて、自国の食文化を再認識されてくることも確実にありますし、「多様性」とはあちこちで必須タームのようになってきていますが、実のところ、最大公約数として話す会話のキーワードは自身の中のナショナル・アイデンティティを言語置換しましたり、“ひとつのテーマ”について多層的に話せるだけの知識の糊しろだったりします。ほんの日本の一都市の、小さな食堂みたいな場で多様な人が集まって、真剣に「温暖化現象」について話せるのはなかなか、いい時代なのかもしれません。深刻で驚くような事態は次から起こり、杞憂は何かとありますが、穏やかな呼吸で健やかに恬淡と構えていられる時間も有難く享受できます。たまたまとしましても、同じ時代に生がシンクロすることは悪くなく。

先日、植物の光合成についてあれこれ意見を交わし合う機会がありました。言わずもがな、根から吸い取り上げました水と空気の中の二酸化炭素を素材に、太陽光を用い、葉にブドウ糖、でんぷんを作る作用。でんぷんはエネルギーの原単位といえますから、「人間にも光合成が出来たら」なんて話は古来からずっと為されているのはその単純な作用のようで、模倣できないゆえの足掻きなのかもしれませんが、オーガニック、有機性という意味へのコンテキストは複線化しているのは反動的要請のひとつとしまして、そんな折に、聴き直すカーティス・メイフィールドの、特に1970年代前半のレコードはメロウに甘美にここまでシリアスに胸に響くものだったかな、と奇遇だけで済まないような、”繋がってくる感覚”には当惑もおぼえつつ、考え込んでしまいました。例えば、1973年の『Back To The World』の背景にはベトナム戦争の混沌とした状況が深い影を落とし、それでも、アフロポリリズミックなリズムにストリングス、ホーンを絡め、彼のあの艶やかな声が僅かな希望的な何かへの担保付けとして柔和に輻射しています。

そのカーティスから巡り、シカゴ、デトロイトを中心部としました”ニュー・ソウル”というアーバンで万華鏡的なサウンドは現在でも多くの人を魅了しながら、そのメッセージ性の切実さも喪わず在り続けるというのは“〜リヴァイヴァル”や“ニュー〜”という容易な冠詞を縄抜けするような同時代性と普遍性の二律背反を止揚する要素があるともいえますし、60年代末から70年代半ばにおけますブラック・ミュージックを取り巻く写し鏡とは一過性のファッション的なものとは縁遠く、ムーヴメントとも形容されます状況論が前景化さえします。モータウンサウンドを代表します、それまでのポピュラー・シンガー的なあり方から一気にシリアスかつコンセプチュアルにしかも、社会的なメッセージを強め、翳りのある空気感を甘く含み、今もってして世界中からの評価の絶えない、マーヴィン・ゲイの1971年の『What’s Going On』を筆頭に、不世出のソウル・シンガーたるダニー・ハサウェイから、ロバータ・フラック、現在も闊達に活動を続けているものの、1970年代前半の間の『心の詩』、『トーキング・ブック』、『インナーヴィジョンズ』、『ファースト・フィナーレ』の作品群の鮮烈さは凄まじいものがありましたスティーヴィー・ワンダー、他にも度々のレア・グルーヴへの評価から再発見し続けますリロイ・ハトスン、リオン・ウェアなど数えきれない大きな存在が“ムーヴメント”の一翼を担っていました。

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もはや、この2015年の中では看過できない作品として、世界中で注視され、語られ尽くされていますケンドリック・ラマーの『To Pimp A Butterfly』は流麗なグルーヴに複層的にレイシズムや現代のアメリカ社会への異議申し立て、自らにもたらされた名声や栄誉に付随して生まれ得る贖罪意識、更にはブラック・ミュージックの抱える業に実直に向き合いながら、しっかりとストリートに拓かれていて、アーバンで鮮烈な内容でしたが、ニュー・ソウルもアーバン・サウンドと、どこかインナーヴィジョンに向かっていた危うい均衡が魅惑性を持っていたところがあり、時代性は全く違えども、感応できますフィーリングは近似的な何かを帯びていると言えるかもしれません。また、アーバンかつソフィスティケイトされるほどに、同時に引き裂かれてしまう孤独や内在化される不条理な世に向けての憤怒は先鋭化されたメッセージ性として遠心力を持ってゆくのには、ベトナム戦争の体験を軸にしながら、“マインドフルネス(Mindfulness)“を通じて、世界中に求められる禅僧、ティク・ナット・ハンがよく”anger“といった感情を用いるのを俎上にせずとも、ピンとくる潮流は多少はあるのかも、と風呂敷を拡げたような考えに至りもします。憤怒(anger)とは直截的、端的にダイレクトにぶつけられるばかりではなく、静謐に、穏やかにその輪を拡がってゆく場合もままあるとしましたら、ディーセントでとろけるようなスウィート・ソウル・レビューに対しての意識変位の引力が強くなっているの不可思議さに我に返ることも時おり。

世の中にはスウィートやキャッチーがいっぱいある“はず”で、でも、生憎の準備万端のパレード当日は大雨が降ったりして、折角の服や気持ちが台無しになったりして、ただ、Revueは今日もどこかの、劇場だけじゃなくささやかで何気ない日々のきざはしで始まっているのでしょう。

monos note

最近、何かと多面でドイツの名を見ることが増えたので、思わぬところで自然と、ライプニッツと「再会」することがあったのだが、当初はといえば、ドイツ政府が2010年に定めた“ハイテク戦略2020”を紐解くことが多くなり、主に製造業の中では「インダストリー4.0」の話がよく見受けられるになってきたのが発端だろうか。昨年の4月にプレス・リリースされた「インダストリー4.0白書」に準ずるところも大きいものの、これからを切り開いてゆく施策のひとつとしてどのようにスマート・モデル化していけるのか、異分野からの注視としての側面もある。産官学連携の大きな収穫となるのか、スマート化するために出てくる積み残しの課題がどういった形になるのか、ステークホルダーの合意形成の順路は整備されてゆくのか、またはクローズドではない、ウイークタイ的な緩やかな共同体生成がはかられるための参加企業の意思決定プロセスはどうなのか、など興味深いテーゼは尽きない。基本は、これまで通りのカンバン、JIT(JUST IN SYSTEM)を継承し、そこに、生産システムの多岐化を試みようとする。マスプロダクション(大量生産)からマスカスタマライゼーション(個別型大量生産)へ、なんて即妙の惹句もあるが、要は大量生産し続ける寄与的概念自体から顧客市場の個別願望に応対、内在化してゆくための生産の在り方を改めていければ、というもので、同時に、元来の工場環境に基づくポスト・フォーディズムが過度になった中で、ヒトが疎外されていたのではないか、という反省に立ち返る要素も含む。生産、ライン管理された中で自動化できるシステムの限りを尽くせば、その中に居るヒトの持つ労働作業への動機付け、属性までも奪い取ってしまうイロニカルな状況への対処といえば、響きは良いが、テクニカルにプログラミングしていけば、もはやこれまで通りにヒトを擁しなくてもいい分だけ、そこに居ることができる(許される)人同士の環境をカスタマイズして、また、現場レベルで完結せずに多岐にネットワークを拡げていこうということでもあり、普遍化の視角を持ち込めば、メーカーの問題だけに終わらずに、昨今、様々な分野で議論されていることだったりする。

公的機関、研究所、業界団体もそれぞれ互恵基準を精査しているが、「互恵」になるからには、どこまでのレベルかの差異も踏まえ、ネットワーク、つながりを視える化、システム化し、なおかつ、最大効率化できるかの適合点を見出さないといけない。その為に組まれる予算、プロジェクト、人員から何まで、組織内外、社会における意味期待を負う在り方がシビアになってきているがゆえに、変節の波をどう乗り越えるかは大同小異、抱えざるを得なくなっている。そして、それは自分(自らが属する場)とは無関係、と言い切ってしまえないケースがあり、小さな分野にも確実に波及はしてくる。大きな変化の波は、小さく確かに変化を拒むように、また、変化にスライド的に適応していくように生きてきた組織体の判断も「結合」しようとするからで、そこでも、冒頭に巡るところのライプニッツを想い出すトリガーに繋がった。

1666年の『結合法論』では、あらゆる素数の積で導き出されるものと同じく、概念もそれ以上は分解でき得ない原始概念の結合によって成されるのではないか、という着想を示した。素数は分解できないが、組み合わせによって成る場合があるが、”成らなくてもいい”。単位に降りていけば、概念にも分解できないものがあるのではないか、と。概念間の結合への演算処理と記号生成は、当然のように今では“制約条件付き“でやり取りされているが、混合論として式化してしまえば、抽象性に深みと、具象性に意味を付与できる径路を辿る可能性は高くなってくる。それを確率論からの普遍的な方法論への認識過程と捉え直すと、大雑把過ぎるが、「原理」を巡っての検証の装備の在り様を如何ほどにチューニングしてゆくか、といった側面を精査すれば、もっとわかりやすいかもしれない。原理に立ち返って、論理から、論理という単位をどういった言語として用いるか、まだ、その可塑性は高いので、一見、小難しそうなテーマでも分解していけば、パーツ同士の結節が見えることもあって、では、結節のためにどのような方策をそれぞれ用いているのかを洞察してゆくと、存外、自分とは一番遠いような場所に思えた解がすぐ近くに転がっていたりもする。

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たとえば、機能不調が起こると、対症療法を用いることがある。熱が出たら解熱剤、便秘が続いているなら下剤、食欲がないならサプリメントみたく。でも、あくまでピンポイントにその症状に対する療法で部分は全体へと帰納するからして、発熱という原因が過労に伴う風邪などで分かるならいいが、そのとき分かる、重要なことは風邪という状況ではなく、発熱が知らせてくれる過労という予兆、サインの方だったりする。過労になった遠因を辿っていけば、発熱で自身を停めてくれたのかもしれない。もっといえば、発熱しなかったら、倒れていた可能性も否めない。ピンポイントでガーゼをあてがっても、根本的に傷口は癒えない。疲れやすくなって、という人が歳のせいかな、と気楽に病院に行けば、「肝炎の気がありますね。」など思わぬことがあるのも道理で、症状とは本当に表層の一部で、また、その一部が分かる次元まで上がってくれば、どうにか対応ができるが、進行してしまった後では遅い。でも、「進行」しているのは自覚症状の範囲内で済まない。システムのフレームが変わっていけば、その内部で生きる所作も随時、多様化する。極端に対症化できるものがあれば、その場凌ぎのものもあり、どうにかなるだろう、で見ていたら、どうにか為されてしまった恒常性が眼前を覆う。眼前だったらまだ、立つ場を変えてみたら見え方が変わるのでいいが、根源から入れ替えるかどうかの「問い」への解のための導線はそうはいかない。となると、ライプニッツの着想の横断性へ時おり想いを馳せてしまうのは今さら、な所作なのかもしれない。

モナドロジー・形而上学叙説 (中公クラシックス)

モナドロジー・形而上学叙説 (中公クラシックス)